明治学院大学が2010年度に強行した移籍は,学長自らが「人権侵害」を隠蔽するために行ったものであった。ところが,労災調査に提出したはずであった筆者の「内容証明」に明記された事実の一切が存在しなかったかのように無視され,労災不認定の不当判断がなされた。これに関わる全「物証」を公開し告発する。
1.存在しない協議
前回記事に記した通り,筆者は2010年12月10日,横浜西労働基準監督署に労災保険給付申請書類一式を提出した。
だが,書類不備のために一旦差し戻されることとなった。その理由は,本来この「労災保険給付申請」は「事業主」がその管轄下にある労働基準監督署に提出するものであるため,その「事業主」の「証明」が必要であるからである。
しかし,大学は,ただでさえ数々の人権侵害行為を放置してきたのであるから,「証明」など拒否することは目に見えている。そこで受付担当者にその旨を伝えると,「事業主から証明が貰えない場合には,その理由書を受け取って添付して頂ければいいです」と言われた。
この為,「療養補償給付たる療養の費用請求書」 (様式第7号)を大学の人事課に送付し「証明」を願い出た。
念の為,上記「災害の原因及び発生状況」の欄に記した内容を書き起こす。
学部学科において数年にわたる継続的な差別的待遇を受け続けたため,大学当局に改善を要望したところ,昨年度に入って,大学はこの人権問題を隠蔽する為に,事前の協議のないままに,当方の所属替えを決定した。この結果,今年度,当方の移籍に伴って様々なトラブルが生じ,当方は継続的に心理的負荷を受けることとなった。その後,大きく体調が崩れた為,掛かり付けの内科から心療内科に転院して受診したところ,当該疾患が確認された。(別添資料を参照のこと。)
これに対する大学側の回答は次の通り。
このうち重要なのは次の箇所である。(太字強調は筆者による。)
少なくとも,教養教育センターへの先生の所属替えにつきましては,人権問題を隠蔽するためになされたものではないこと,また,事前に先生に所属替えについて意思確認させていただいており,事前の協議がないままになされたものでないことが確認されました。
前回記事で明らかにした通り,横浜西労働基準監督署に提出した「労災申請」が棄却されたため,「審査請求」(労働局)をするにあたって,その判断根拠となった申請者本人に関する保有個人情報の全て(「実地調査復命書」および添付資料一切)の開示請求を行い,それらの内容を確認した結果,筆者の担当者であった林淳子事務官は,大学側証人の偽証だけを纏めて虚偽の事実を捏造しただけであることが判明した。
そこで上記2011年1月14日付回答書を記した人事部長当人に,改めて確認をとることにした。
この「質問状」の最後に,「回答」する際の条件を記しているので,それを以下に書き起こす。(太字強調は筆者による。)
回答期限は,本状をお受取りの日から数えて7日以内とさせて頂き,内容証明にてお願い致します。
この期日を過ぎても回答のない場合,また内容証明以外の仕方で回答された場合,上記質問事項に対する回答以外の内容を記した場合には,大学執行部の主張する「十分な協議」は実在しなかったということをお認めになったと考えます。
これに対し,町田人事部長からは,次の様な「メール回答」があった。
一体,この人たちの頭は大丈夫なのか? 「条件文」を理解できないのだろうか? これでは,学長自らが「『協議』は実在しない」ということを「証明」したことになるではないか。(論理的に余りにトリヴィアルであるため証明を省く。)
更に,その顧問弁護士の回答とやらがこれだ。
前年2011年1月14日時点で既に「確認」が終わって文書で回答している事実について,今更何故「確認」する必要があるのだろうか?
その後,2012年3月15日付で,頭の悪い作文が届いた。
やはりこの「回答書」とやらも,「協議」について質問したことは何も書かれてないばかりか,関係のない事柄で埋め尽くされているだけである。この人達も何か「条件文」を使えない大脳の特別な疾患をお抱えなのだろうか?
ちなみに,この弁護士事務所は,今現在も労働基準法違反の組織的隠蔽に加担し頑張っておられる最中である。
さて,大学側は労基署に次の様な「物証」を提出している。
この文書では明らかに,筆者が「文学部フランス文学科」から「教養教育センター」への移籍を「学長に願い出ていた」ことになっている。ところが,先ほど見た通り,代理人弁護士の調査による2012年3月15日付の回答書では次のようになっていたはずではないか。(太字強調は筆者による。)
大西学長が学長室にて貴殿と面談し,貴殿へ2010年度 から教養教育センターへ移籍することについて提案し,貴殿はその場で同移籍について同意されました。
2012年3月15日付明治学院代理人弁護士「回答書」より
即ち,この移籍は「学長が提案した」ものだったわけだ。
更に,同「回答書」によれば,この移籍については当時の教養教育センター長亀ヶ谷純一教授が筆者の意思を確認しているという。(太字強調は筆者による。)
亀ヶ谷教養教育センター長(当時)も,貴殿と面談し,貴殿が同移籍について了承していることを直接確認しました(日時場所は不詳)。
2012年3月15日付明治学院代理人弁護士「回答書」より
ところが,当の亀ヶ谷教授は,労基署調査で次のように証言している。(赤枠は筆者による。)
2011年の労基署証言⑰では,意思を確認した日付も場所も明確に覚えていたはずであるにも拘らず,改めて学院側弁護士が時間をかけて調査した結果,日付はおろか場所すらも不詳になっているのは,一体なんなのだろうか?
そもそも,労基署調査において亀ヶ谷教授が明確に述べた「平成21年10月2日」は筆者の「授業日」ではなく,また,この2009年度(平成21年度)を通じて,筆者も健康上の問題を抱えていたために,「授業日」以外は余程特別な案件がある場合を除いて出校することはなかった。では,どうやって面談したのだろうか?
亀ヶ谷教授は,次のようにも証言している。(赤枠は筆者による。)
「本人の意思」を確認し,「慎重に段階を経て,ようやく移籍が決定される」のであれば,筆者自らが記し学長へ提出したはずの「移籍願」を,どうして大学側は労基署調査に提出しなかったのであろうか?
そんなものは元々「存在しない」からである。
そもそも,2012年3月15日付代理人弁護士「回答書」にある「学長」証言の通り,2009年7月30日に筆者の「意思確認」がとれたのであれば,どうして当該「面談日」の直近の「学部長会議」ではなく,わざわざ秋学期に入ってから2009年10月6日の会議に諮る必要があるのだろうか?
このように,大学側証言は偽証に偽証を重ねているために,互いに示し合わせたはずの内容が混乱して訳がわからなくなっているのだ。
2.存在しない移籍理由
学長がここまで無理な「移籍」を命じた理由は何だったのだろうか?
次が「移籍」に関する大西晴樹学長の労基署証言である。(赤枠は筆者による。)
つまり,「(筆者が)再三にわたり文書を送付してきたので,面談して移籍を提案した」と言っている。念の為,この証言によっても,2009年10月15日付文書に明記されていたような「(筆者が)学長に願い出ていた」という事実は否定されることになる。
ここで,大西晴樹学長は,
学長室から出て行く彼の嬉しそうな顔を何人もの教職員が確認していることからも,彼にとっては担当科目と所属の一致という合理性があり,最善策であったと認識している。
と証言しているのであるが,「嬉しそうな顔」をしていれば「合理性」があり「最善策」だったなどと,最高学府たる大学の学長の口から出てくる言い訳なのであろうか?
それよりも遥かに問題なのは,それを「何人もの教職員が確認している」と証言していることである。
というのも,これは既述の2012年3月15日付代理人弁護士「回答書」に記された「10分間」ほどの面談の際の状況であり,たまたま「小用」で誰かが来て去っていった様子の一部始終を「そのときに学長室にいた何人もの教職員が確認している」ということが事実であれば,通常,それらの教職員は「職務専念義務違反」を問われ懲戒処分を受けるのではないだろうか?
大西晴樹学長の頭は大丈夫なのであろうか? 同様に,これに何の違和感も覚えず,筆者の提出した物証を排除して,ただこの「証言⑫」に基づき作文をした横浜西労働基準監督署林淳子事務官の頭は大丈夫なのだろうか?
しかも,この「証言⑫」で学長は,「再三にわたり配達証明による文書」を筆者が送っているということをはっきりと述べているのだが,それでは林事務官は,何故その文書の内容を一つも取り上げていないのだろうか?
大体,横浜西労働基準監督署の林事務官は「配達証明」などとわざわざ事実を歪曲しているが,実際に筆者が送付したものは「内容証明」である。前回記事にも記した通り,林事務官が捏造した作文の中では,それらの「内容証明」が一通たりとも実在しなかったかのように除外され,そこに記された事実の検証は一切なされなかった。
次は,筆者が「大学執行部」に宛てて初めて送付した2008年11月23日付「内容証明」である。このとき「大学入試センター入試委員長」であった川上和久教授は「副学長」であるため,当然,この「内容証明」は大西晴樹学長も閲覧している。
これに対し,川上入試センター入試委員長から通常の郵便で回答が届いた。
しかし,2008年11月23日付「質問状」の内容に対して,明確な回答をしたものではなかった為,改めて「質問状」を送付した。
即ち,筆者は「大学入試センター試験」の「監督業務」に関し,健康上の問題から免除を申し出ていたわけであるが,その健康上の問題は,筆者が単に健康管理を怠ったことに起因する私傷病だったというわけではなく,「文学部フランス文学科における差別的待遇」と「日常的な過重労働」に起因するものだったという事実を述べているわけである。
ちなみに,この遣り取りにおいて「事務局長」と記されているのは,前項の2011年1月14日付「回答書」を筆者宛に送付した「町田明広人事部長」のことを指す。従って,この人物は少なくとも筆者の「労災申請」が,ここに記した事実と直接的に関わりがあることを知っていたということになる。
さて,上記2008年11月30日付「質問状」に対し,予想通り,大学側からは直接回答はなかった。しかし,同年12月9日になって,文学部長巖谷國士教授から次の様なFAXを頂戴する。
電話での遣り取りの主たる目的は「傷病を理由とする業務軽減」のことであった。この様な経緯の中で,前回記事に掲載した2008年(平成20年)12月13日付「診断書」を提出することとなる。
だが,その一方,筆者が学長に「内容証明」で通知した「フランス文学科における差別的待遇」の具体的な事実については,巖谷文学部長には伏せられていたようであり,この点,全く話が噛み合わなかった。しかし,勿論,巖谷教授ご自身も「フランス文学科」の所属教員であり,加害者らを擁護する立場をとっておられ,「二次加害」ということが全くお分かりになっておられないようだった。
こうして筆者は,フランス文学科で受け続けた「人権侵害」に関する事実を記した「内容証明」をその後も送り続けることになる。本項冒頭において引いた「証言⑫」で学長が「再三にわたり配達証明による文書」を筆者が送っていると述べているのは,その事実を指している。
これに対し,2009年3月4日付で巖谷文学部長から次のようなFAXが届く。
このときには,直接的に被害の状況を知らない人間に向かって何を言っても仕様がないと思い,筆者は次の様な文書を郵送した。
その後,同教授から筆者の元へ次のような書面が届く。
この結果,2009年度に当記事の第1項に見たような「移籍問題」が生じるのである。
しかし,これが「問題」として大事になっていったのは,どこまでも大西晴樹学長が,筆者が「内容証明」によって訴えた「人権侵害」と「過重労働」に起因する体調不良について,「隠蔽」を目論んでいたことによる。
こうして強行された「移籍」であったが故に,労基署調査においても,その「理由」は不明とならざるを得なかったのである。
3.無きものとされた文書たち
以下,著者が大西晴樹学長に送付し,「労災調査」に至っては横浜西労働基準監督署の林淳子事務官が「物証」から排除した「内容証明」(これまでの記事に掲載されたものは除く)を公開する1。
(1) 2009年2月17日付学長宛「通知書」
(2) 2008年12月8日付英文科主任宛「質問状」
これは,上掲2009年2月17日付学長宛「通知書」中で指摘している「内容証明」であり,2009年2月20日付で学長にその写しを送付した。
(3) 2009年2月25日付学長宛「通知書」
(4) 2009年2月25日付学長宛「質問状」
(5) 2009年3月6日付学長宛「通知書」
この「通知書」は,それまで送付したものとは性格を異にし,それまでに送付した「内容証明」の一覧を掲載している。それらの「内容証明」が真に存在することを示すためである。
(尚,その一覧に掲げられたもののうち,「エ」ならびに「カ」の2通については,明治学院大学の「安全配慮義務違反」について記した過去記事に掲載しているため,当記事内では掲載しなかった。)
4.人権侵害の組織的隠蔽工作
上掲の「内容証明」に記した事実に対し,以下,補足資料を掲載する。
(1) 2008年4月4日フランス文学科会議
前項の(2)に掲載の2008年12月8日付英文科主任宛「質問状」の内容は,同年2008年4月4日に開催されたフランス文学科会議において,フランス文学科主任湯沢英彦教授が筆者に行った差別的待遇について記したものである。
既に全文を掲載済みであるので,以下,部分的に書き抜く。
(……)今年4月4日(金)に開催されたフランス文学科学科会議において,フランス文学科主任湯沢英彦教授から当方に対し,事前の打診も全くないまま突然に,文学部教授会における書記をお願いしたい旨が伝えられ,いわば「無理強い」されるところでした。その際,湯沢教授が説明したところによると,「英文学科からは教授会書記を出さない,という申し合わせ条項がある」とのことで,このため,どうしてもフランス文学科が引き受けざるをえず,「貴方は他に学科での仕事をしている訳ではないから,それをなすべきだ」とのことでした。(……)
前掲2008年12月8日付英文科主任宛「質問状」(部分)
2007年度には,当方,幸いにも研究休暇を頂くことができましたが,これは,元々この年度に頂いていた「在外研究」の権利を,体調不良を理由に,通常の「サバティカル」に振り替えて頂いたもので,このために,当方は「在外研究」の権利を永遠に失うこととなりました。
2004年から今年2008年にかけての当方の健康状態について,フランス文学科が周知していることは明らかな事実ですが,そうであるにも拘らず,既述の通り,湯沢教授は,当方の健康状態を確認することもなく,年度初回の学科会議の席で,職務を無理強いしようとしたわけです。(……)
従って,万一,湯沢教授の「無理強い」に負けて教授会の書記を務めることになっていた場合,最悪,2004年において齎されていたような,命に関わる状況に陥っていたことが予想されます。
2004年以来,当方から学科の方に,当方が「全快した」などと伝えたことは一度もなく,そればかりか,2007年度に「在外研究」を「サバティカル」に振り替えたい意思を伝えた際に,その主たる理由が健康に関するものであったことからも,相変わらずその状態が思わしくないことは,十分に伝わっていたはずです。それでありながら,湯沢教授が「無理強い」しようとした意図を,未だ当方は理解できません。
これだけに目を通すと,「会議の書記程度の仕事など,少しは大変になるかもしれないが,何故それほどまでに拒むのか」と思う向きもあるかもしれない。たしかにそうであろう。
しかし,前掲2009年2月17日付学長宛「通知書」に記録した業務体勢を前提すると,事態は全く異なって見えてくるはずである。というのは,このときの筆者の「事業場」は「横浜校地」にあり,他方で「所属学科」は「白金校地」に所在する。2002年度の移籍の際,大学の都合で「研究室」の移動ができなかったからである。
つまり,筆者の場合,「学科会議」ならびに「文学部教授会」は「事業場外業務」なのである。このため,大学は小細工を行っており,「白金校地」へ出校する際,「横浜校地」から「白金校地」までの「交通費」(実費)のみを支給し,これを「日帰り出張費」と称している。
「白金校地」を「事業場」としてそこで開催される会議に出席するのと,「横浜校地」から「出張」してその会議に出席するのとでは,それにかかる時間や労力はまるで異なるであろう。「白金校地」には筆者の「研究室」がないため,そこで事務作業は全く行うことができず,自宅に帰ってからの作業になる。
実は,このとき筆者は既にこの「文学部教授会書記」を2002年度に務めた経験があるのだが,自宅に着いたときには午後10時を回り,それからその日の会議の状況が記憶に残っている間に作業を行うために,その「業務」のみで徹夜になることは普通だった。2009年2月17日付学長宛「通知書」に記録した健康状態でこれを行えば,確実に症状を悪化させることになる。
読者は,この状況は前回記事で見た教養教育センター長嶋田彩司教授の「増悪防止措置義務違反」を先取りしているということに気付かれたい。
さて,2008年4月4日フランス文学科会議に話を戻す。実は,そのとき筆者は「負傷」していた。
この頃,筆者は「白金校地」に出校すること自体にストレスを感じるようになっていため,この日の午前中に軽い「倦怠感」と「頭重」に見舞われ,それがしばらく治まらなかった。そのため,軽い運動をしようと自転車で短距離を走ったところ,途中で軽い目眩を起こすとともに平衡感覚を失い落車して「爪甲剥脱」するに至った。
至急,自宅近くの病院へ駆込み応急手当をして貰ったが,それでも「サバティカル」を終えた新年度最初の「学科会議」ということもあり,そのまま「白金校地」に出校して問題の会議に出席した。
このとき,フランス文学科主任湯沢英彦教授は,負傷した筆者を見るなり「痛そ……」と一言発して眉をひそめただけであって,筆者の病状について尋ねるでも生爪が剥がれたことを気遣って帰宅させるでもなく,そのまま会議を開始した。
筆者はその痛みに耐えながら,上述2008年12月8日付英文科主任宛「質問状」に記された差別的待遇を受けることになったのである。
(2) 2007年度サバティカル
この様に,(1)に記した2008年4月4日の「爪甲剥脱」は,前年度(2007年度)の「サバティカル」とも相関することであるので,この点について詳述したい。
この2007年度サバティカルを取得するにあたって,筆者は前年2006年4月24日付で,フランス文学科主任湯沢英彦教授に次のような文書を送付し,次年度の「在外研究」について打診した。
これに対し,湯沢主任からは次のようなメール回答があった。
読者はこれを読んで驚かないだろうか? 文面上,丁寧な対応には見えるが, その内実は筆者の病状に関しては全く無関心であり,健康上の問題を抱える人間に対する物言いではないということが理解される。
更に筆者は,このメールに対する返信で,更にこのときの自らの健康状態を詳述している。
その後,湯沢主任から電話があり,「在外研究」を取得するか,それを放棄して「サバティカル」に振り替えるかのどちらかにしてほしいという催促を受ける。そのため,数日後,次のようにメールで回答することになる。
こうして,筆者は「在外研究」の権利を剥奪された上で,2007年に「サバティカル」を取得することになるのである。
何よりも問題であるのは,それこそこの時にフランス文学科主任湯沢英彦教授が筆者に対してなすべきであったのは,「増悪防止措置義務」を果たすべく「傷病欠勤制度」の権利を使用させるよう促すことのみであり,「在外研究」の権利を剥奪することではなかったはずである。
(3) 2006年10月13日付「業務メール」
そればかりではなく,この年度(2006年度)に,フランス文学科主任湯沢英彦教授は重ねて「増悪防止義務違反」を犯すことになる。
次は,湯沢教授が筆者に送った2006年10月13日付の「業務メール」であるが,これが当記事第2項に掲載した2008年11月23日付川上大学入試センター入試委員長宛「質問状」,及び,第3項に掲載した2009年2月17日付学長宛「通知書」に現れる問題のメールである。
正常な神経をもっていれば,この湯沢教授の「業務メール」の「文面」そして「書法」は異常だと判断するのではないだろうか? 読者が大学教員であるならば,ご自分が「業務上メール」でこの様なものを上司にあたる教授から受け取ったときにどのように思うのか,想像してみて頂きたい。
湯沢教授は,このメールについて,労基署調査で次の様に釈明している。(赤枠は筆者による。)
先ず,湯沢教授は「証言⑪」に「誰に対しても上手くコミュニケーションが図れないような感じがあった」と言っているが,筆者の「研究室」は「事業場」である「横浜校地」に所在しているため,「白金校地」のフランス文学科に行ったとしても,居場所としては「フランス文学科共同研究室」しかなく,仮令そこに行ったとしても,学科の教員らが話かけてくるわけでもなく無視したままであったので,話し相手といえば,実はこの湯沢教授証言の中にある「年下の事務スタッフたち」だけであった。
しかも,普段からメールで頻繁に「業務連絡」の遣り取りをしていたが,筆者は前任校で「助手」を務めていたために,むしろ互いに「事務スタッフ仲間」の意識さえあった。その信頼関係を知らなかったのは湯沢教授のほうである。湯沢教授は「証言⑨」において,「そのスタッフは大変心配な状態に陥ったと聞いている」というが,何故,「伝聞情報」にする必要があるのだろうか?
上に掲載した湯沢教授のメールの後,同教授の指導により,同教授をCCに入れてその「年下のスタッフ」に謝罪のメールを入れた。湯沢教授はそれに満足したようだったが,その一方,謝罪を受けたほうのその「年下のスタッフ」は,むしろいつも親しく話をしている筆者がそのようなメールを送ったこと自体に酷く驚き,後日,共同研究室でお会いしたときには恐縮して「私のせいで先生にこんなことをさせてしまって」と何度も謝っておられた。
そもそも,湯沢教授の「証言⑨」に記される「アグレッシブな文言の内容のメール」というのは,普通は,この湯沢教授ご自身が認めたこのメールのようなものを指すのではないだろうか? これはもはや「学科主任」としての「業務上の指導」を逸脱した「人格批判」を行なっていることは明白ではないだろうか?
更に異常なのは,本項(2)で見た通り,この同年春に「在外研究」について筆者の健康上の問題をあれほど確認していたにも拘らず,そして,筆者が業務上の加重負荷がかかっていることを必死に記しているにも拘らず,やはり微塵の配慮もないということである。
この筆者の健康状態について,労基署調査において湯沢教授は次の様に証言している。(赤枠は筆者による。)
やはり,ここでも前回記事に見た2010年度の出来事(エピソード)に対する教養教育センター長嶋田彩司教授の証言を彷彿とさせはしないだろうか?
更にこの「証言⑮」では,湯沢教授は筆者を「ある種の原理原則を厳守され,それに固執するあまり,時に協調性を失うことがあった」と言っているが,そのように同教授が感じるのも当然だろう。
「労災」の「審査請求」(労働局調査)の際に筆者の証人の一人になって下さったのは,教養教育センターの鈴木義久教授であったが,同教授は文学部英文学科からの移籍者であるため,かつて同学部で起こった事象に詳しく,筆者も同教授から湯沢教授についてとんでもないことを聞いた。湯沢教授が反社会的組織の美人局に遭って大騒ぎとなったことがあり,それを収めるために当時文学部長であった宇波彰教授が腐心したというのである。そのような人物に「ある種の原理原則を厳守され,それに固執する」等と言われても,何のことやらと思うのではないだろうか?
更に,当記事第2項で記した通り,文学部長巖谷國士教授は,筆者が湯沢教授のパワーハラスメントについて学長に訴えたことに対し,「それを指摘するのは個人攻撃にあたる」と二次加害に与していたのだが,鈴木義久教授によると,この巖谷教授も,定年退職直前にフランス文学科ゼミ生にセクシャルハラスメントで訴えられ示談で収めたり,また,ご自分の別荘へ行く交通費を「旅費」として申請したことが発覚したりなどしていたということだったらしく,筆者もそれが文学部フランス文学科の体質なのだろうと思った。
(それにしても,こうした問題を起こした教員は通常懲戒処分を受けるのが常であるのだが,何故か何のお咎めもなく無事に名誉教授となって退職できる特権階級に属する人々がいるのである。これが明治学院大学である。)
これら文学部長およびフランス文学科主任に関連して付言すれば,過去記事に掲載した2009年2月21日付学長宛「要望書」に記載した通り,「フランス文学科共同研究室」を「喫煙所」として放置していたのもこの両者であり,彼らにとって「安全配慮義務違反」など痛くもないのであろう。
ともかく2008年度に至るまでのこうした一連の出来事(エピソード)があり,筆者も長期的に続く心身への攻撃に耐えられなくなり,遂に,当記事に掲載した様な「内容証明」を大学執行部に宛てて,救済を求めることになったわけである。
さて,当記事第3項において掲載した2009年2月17日付学長宛「通知書」の中に,筆者がフランス文学科の「ゼミ担当」から外され続けたという事実を記した。ところが,大学執行部に救済を求めた後も尚,フランス文学科のほうでは,外部からはあたかも筆者が学科の一員として「ゼミ担当」をしているかのように工作していたのである。
次は,大学執行部に宛てた2010年1月27日付文書である 2。
ここに記載されるURLの情報は,勿論,現時点では既に書き換わっているが,次が2010年1月17日時点でのフランス文学科教員紹介の魚拓である。
5.存在しない人権委員会
以上,前回記事で検討した2010年度における出来事(エピソード)と一体的に評価されるべきそれ以前の出来事(エピソード)を概括してきた。ご覧の通り,本質は「人権侵害の組織的隠蔽工作」ということで一貫している。
次は,労基署調査における大西晴樹学長の証言である。(赤枠は筆者による。)
大西学長によれば,2011年度に「ハラスメント人権委員会」を開設したが,筆者から直接「人権侵害」に関する訴えがあった事実はない,とのことである。しかし確認しておくが,当記事で再三論じた通り,筆者が「人権侵害」について「内容証明」を送付し訴えたのは2008年度,2009年度であり,それ以前のことである。
これに関連して,当記事第3項(4)に掲載した2009年2月25日付学長宛「質問状」の全文を次に書き起こす。勿論,これは既に述べた通り,2011年度に「労災申請」した際に,横浜西労働基準監督署に提出したものである。
本学には「明治学院大学セクシュアル・ハラスメント人権委員会」なるものがあります。これに関連してお尋ねしたいのですが,「人権問題」について幅広く相談できる窓口は存在するのでしょうか。それとも,存在しないのでしょうか。存在する場合にはその窓口の正式名称をお教え下さい。存在しない場合にはその旨をお伝え下さい。
2009年2月25日付学長宛「質問状」
回答は,本状をお受取りになってから,一週間以内に「内容証明」にて頂戴したく存じます。
上記は極めて単純明解な質問です。期限までに回答なき場合,また,上記質問に対する回答以外の内容が記された場合には,「存在しない」との回答であると捉えます。
学長からはこれに対する回答はなかった。筆者が「フランス文学科で受けた人権侵害」について救済を求めたとき,「人権委員会」は存在しなかったのである。それ故に,2008年度,大学執行部に直接「内容証明」を送って訴える以外に手立てはなかったのではないか。
そうでありながらも,「2011年になってから人権委員会を設置したが,本人からは訴えがなかった」などと平気で言えるのは,何か普通の人間が自然にもつ倫理性および知性が欠落しているのではないだろうか?
だが,それが明治学院大学の学長の認識なのであるから仕方がない。
ちなみに,過去記事で「36協定偽装」の決定的証拠となる2012年3月19日付「時間外勤務・休日勤務に関する協定」を掲載したが,この組織的労働基準法違反の主導者は他ならぬ大西晴樹学長その人である。
ここで,大学教員組合執行委員長の西岡芳彦教授は,「文学部フランス文学科」の所属であるため「白金校地」が「事業場」であり,筆者の「事業場」である「横浜校地」の「過半数代表者」になることはできない。これが明治学院大学における全教員の「36協定」として『明治学院規程』に掲載されている以上,「36協定偽装」は明らかでしかない。
大西晴樹学長は,現在,東北学院の学院長を務めておられるようであるが,そちらの大学では「労働基準法」をきちんと遵守しておられるのであろうか。最早,筆者の関知するところではないのだが。
さて,当記事で取り上げた「物証」は,やはり「審査請求」(神奈川労働局)においても存在しなかったかのように扱われ,請求を棄却されるに至った。
このため,「再審査請求」の段階で,「労働保険審査会」に「追加書類」として送付した2013年(平成25年)1月15日付「申立書」に再度その全てを加えた上で,この「申立書」の写しを同年8月1日付で「明治学院大学ハラスメント人権委員会」に改めて提出し,この人権侵害事件に加担した教職員全ての処分を要求した。
しかし,この結果,同委員会から回答がなかったばかりか,筆者はそれを理由として,大学の「組織的報復措置」を受け続けて今に至るのである。
注
- 本当は,それら全てについて丁寧に詳解を付したいところではあるのだが,筆者はそれらに目を通すことにより未だにPTSDを引き起こし,その後数日の間,日常生活に支障が来されるために,断念したい。
- この文書に記された原宏之氏も,筆者同様に,フランス文学科主任によるハラスメントを受け心身の健康を害し,更に,やはり大学の組織的隠蔽工作に耐えかね,後に辞職することになる。その経緯については,氏自身によるブログ記事に詳しい。特に,そこに記された次の言は,筆者のケースにもそのまま当て嵌まる事柄である。「会議を経ての決定、会議に諮ることもない、自分たちで決めた規則や規程、約束事すら守れない、そうした広い意味でのものです。法感覚や法令遵守の意識が稀薄にすぎました。尤もごく一部の人間が独断で行ってきたことであり、他の多くの教職員はこうした経緯があったことすら知るよしもなかったのですが。」