明治学院大学は2010年度に,筆者に対し「文学部フランス文学科」から「教養教育センター」への移籍を命ずるが,再三にわたる「安全配慮義務違反」の末,遂に筆者は「抑うつ症」を発症するに至る。その全容を,2011年の労働基準監督署証言資料に基づき公開する。
1.その病名は……
2010年(平成22年)9月5日,伝を頼りに藁をも縋る思いで見付け出した信頼できる心療内科を訪ね受診した。
それまで数年に亘って体調不良が続き,掛かり付けの内科で加療を続けていたものの,快癒するどころか徐々に増悪の一途を辿っていた。このため「精神疾患」の可能性を考え,当該心療内科への紹介状を書いて貰い,更に,それらの症状に関する「診療情報」(カルテの写し)を請求して「転院」の手続きをとった。
こうして初診の際,それまでの身体症状の変化,内科等の検査によってもそれらに対応する器質的な疾患が全く見られないこと等々を一通り説明し,判断を仰ぐと,思いも寄らなかった病名を聞かされた。
担当医はただひと言,しかも断定的に述べた ― 「典型的なうつ病です。」
上に「思いも寄らなかった」と述べたが,現れている症状からは「心身症」や「不定愁訴」の「身体症状」に関係する傷病しか類推することができず,「抑うつ状態」ではあれ,よもやこの自分が本当に「精神疾患」に罹っているなどとは思いも及ばなかったからである。
当然,その疑問を投げかけることになる。「でも,現れている症状としては内科的疾患に関係すると考えられるものばかりですが,それでも『うつ病』ということがあり得るんでしょうか?」
「はい,むしろ現在では一般的に見られる『身体的なうつ』で,『仮面うつ』とも呼ばれることがあります。今の状態から判断すると長くかかるかもしれませんが,それでも必ず治ります。」
その担当医の言葉に救われた。というのは,それまで全くわからなかった延々と続く苦しみの「原因」がわかり,「治療方針」を定めることができ,臨床的に,治癒する可能性が十分にあるということを,やっと知ることができたのだから。
ここで,上記「診断書」については説明が必要かも知れない。主治医は「うつ病」だと断言したにも拘らず,その「病名」欄には「抑うつ状態」とのみ記しているからだ。
主治医によると,一般に「うつ病」(抑うつ症)というものがどういうものであるのか医学的な知識が正確に広まっていないために誤解を与え,会社によっては「うつ病=精神疾患」というだけで即時「解雇」になることさえ珍しくはないのだという(勿論,労働契約法違反である可能性が高い)。こうしたリスクを避けるため,治療する医師の立場からは,正式な傷病名ではないにせよ,傷病の「症状」に即して表現した「抑うつ状態」を診断書に記すことは一般的なのだという。
こうして,その翌々日には,筆者が所属する「教養教育センター」のセンター長にこの「診断書」を送付し,同時に,「事業場」である横浜キャンパスの「健康支援センター」にも写しを送付した。
このように送付先とは異なる他の部所に「写し」を送付し,更に,その旨を文書内に記すことによって,後に当該文書が存在することを容易に証明することが可能になるわけだ。
これが後に大学側の労基署証言の偽証を暴く揺るぎない「物証」となる。
2.不定愁訴・心身症・抑うつ症
ここで一度,各「医学的概念」を明確にしておく必要がある。以下,『南山堂医学大辞典』(第19版)における「自律神経失調症」・「心身症」・「うつ病」の項目より引用する。
先ず,「自律神経失調症 autonomic dystonia, autonomic imbalance, vegetative dystonia 」について。
「自律神経症状や不定の身体的愁訴がみられるが,十分な身体的検索を行なっても症状を説明するに足る十分な器質的病変を見いだせない場合や,心理的要因により種々の自律神経症状を呈する病態をいう。」
「現在は不定愁訴症候群の一つとして考えられることが多い。思春期から中年に好発し女性に多い。自律神経症状としては全身倦怠感,めまい,のぼせ,冷え症,発汗,頭痛・頭重感,動悸,息切れ,胸部圧迫感,下痢,不眠など多彩であり通常は複数の臓器,器官にまたがる多愁訴を示す。症状は質,程度とも変動しやすく,他覚的所見に比し不相応に自覚症状が強い。」
「体質的,遺伝的な自律神経系の脆弱性などの身体的要因と心理的・社会的要因が相互に干渉しあって発症すると考えられている。診断には,器質的疾患がないこと,明らかな神経症などの精神疾患がないことを確認することが重要である。」
次に,「心身症 psychosomatic disorders 」について。
「心身症の定義に関しては日本心身医学会が1991年に『身体疾患のなかで,その発症や経過に心理社会的因子が密接に関与し,器質的ないし機能的障害の認められる病態をいう。ただし神経症やうつ病など他の精神障害に伴う身体症状は除外する』としている。ここで病態という表現が用いられているのは,ある病名のすべてが心身症というのではなく,ここで定義された条件にあてはまる症例のみが心身症であるという意味である。従来は身体症状を主症状とする精神疾患も広義の心身症として取り扱っていたが,これらは心身症から除外されたのが今回の新しい改訂である。」
「心身症は器質的な身体病変を呈する場合(消化性潰瘍,気管支喘息など)と病態生理的な機能障害を呈する場合(偏頭痛,過敏性腸症候群など)とに2大別される。またライフサイクル別にみると思春期,青年期においては機能的障害としての心身症の頻度が高く,成人期,初老期,老年期になるにつれて器質的障害としての心身症の頻度が増加する傾向にある。」
「心身症は疾患名ではなく病態名であるので,例えば心身症として取り扱う必要の認められる胃潰瘍であれば,胃潰瘍(心身症)と記載し,病名の後に心身症として加えるのが適切である。」
「心身症としてみられやすいものに肥満症,緊張性頭痛(頭痛),片頭痛,狭心症,関節リウマチ,気管支喘息,頻尿(尿意頻数),不整脈,胃潰瘍,十二指腸潰瘍,潰瘍性大腸炎,過敏性腸症候群などがあげられるが,この病態は心身両面からアプローチすると内科領域のみでなく皮膚科,泌尿器科,耳鼻咽喉科,整形外科,小児科,産婦人科,眼科,歯科など臨床各科で遭遇するものと考えてよい。」
最後に,「うつ病 depression 」について。
「本来は躁うつ病のうつ病相を意味していたが,うつ状態と同義に用いられることが多い。」
「うつ病の主症状は,1)気分障害(感情障害),2)思考障害,3)意欲・行為障害,4)身体症状に分けられる。」
「1)気分障害の基本は抑うつ気分であり,程度が強くなると無感動になる。また,離人感を伴うこともある。不安感や焦燥感が強いと不穏,焦燥,興奮状態を示すこともある。」
「2)思考障害の特徴は思考形式の面では思考制止(思考抑制)であり,内容の面では罪業,貧困,心気妄想に代表される微小妄想である。」
「3)うつ病の意欲・行為障害は精神運動制止 psychomotor retardation と呼ばれる。しばしば患者はやらなければという気持ちは強いが,億劫でやれないと表現する。」
「4)身体症状としては睡眠障害,食欲低下・体重減少,性欲減退,自律神経機能の障害,頭痛・頭重,易疲弊・倦怠感などの頻度が高い。」
「そのほか抑うつ気分や精神運動制止は午前中に強く,夕方から夜にかけて軽くなる場合が多く,これを日内変動 diurnal variation と呼ぶ。」
この様に,「内科」的観点からの「身体症状」の側面にのみ目を向けた場合,そして「自律神経失調症」と「心身症」とを併発している場合,臨床経験の豊富な「心療内科」専門医でなければ,「うつ病」との区別が付かない可能性が大である。
さて,前項に掲載した2010年9月7日付健康支援センター(横浜)宛文書に「2008年12月13日に内科を受診」した旨が記されている。その時に大学に提出した「診断書」が次である。
そこでは,「過敏性結腸症」(過敏性腸症候群 IBS)・「不眠症」・「自律神経失調症」と診断されている。即ち,「心身症」と「自律神経失調症」とを併発していることがわかる。同診断書は「大学執行部」が閲覧・確認しているため,このとき学長であった大西晴樹教授はこの事実をこの時点で認知している(予見可能性)ということになる。
次に,それより2年後の2010年(平成22年)4月4日付で大西晴樹学長に宛てた「内容証明」にも,同様に「自律神経失調症」(不眠・眩暈・頭重)と「心身症」(表層性胃炎)の訴えが明記されている。
(尚,以前にも述べた通り,この文書に横浜西労働基準監督署の受付印があるのは,労災調査において既に「行政文書」となっているということを意味する。)
ここから,前項に見た通り,同年9月5日に「抑うつ症」と診断されるに至るのであるが,これは,この2010年度に入って身体症状が著しく増悪したということを示す。
それでは,この年度に一体何があったのだろうか?
3.情報センターの不作為
さて,前項の最後に掲載した2010年(平成22年)4月4日付大西晴樹学長宛「内容証明」に記される通り,大学執行部はこの年度に,筆者に何の正式な通知・通達もしないまま「フランス文学科」から「教養教育センター」への「移籍」を強行した。
筆者はその事実を,幾人かの教員から間接的に伝え聞いただけであった。更に,この「移籍」に際して,その「理由」・「就業条件」・「業務形態」等々に関する何の「協議」もなされなかった。
その一方,同年(2010年)1月27日付で「情報センター」から全教職員・学生に対して,「メールサーバー仕様変更」に関する通知が来ていた。このため,年度が変わる直前,同年3月23日付で筆者のメールアカウント(メールアドレス)の変更があるかどうかを念の為尋ねてみることにした。
この問合せに対し,情報センターから同日付で次のような回答があった。
即ち,筆者の「研究業務用メールアドレス」が,
変更前 *******@ltr.meijigakuin.ac.jp (「文学部」ドメイン)
変更後 *******@gen.meijigakuin.ac.jp (「教養教育センター」ドメイン)
と変更されることが確認された。
ところが,サーバーの移行作業が行われた同年3月31日になってから,上記「新メールアドレス」(*******@gen.meijigakuin.ac.jp) が使用できないということが発覚することになる。
そこで,改めて「早急に,切り替え作業が終了しているかどうか確認してほしい」と問合せると,「既に切り替わっている」との回答であった。
その後,情報センターはこの件に関して回答を拒み,不作為を働き続けた。
上記は「研究業務」等に用いるための「研究用メールアドレス」に関する回答であるが,何よりも問題であるのは,授業等で学生と遣り取りするために使用する「教育業務用メールアドレス」(*******@mail1.meijigakuin.ac.jp) に関しては,情報センターは対応すらしていなかったということだ。
このことは,情報センターが横浜西労働基準監督署に提出した証拠書類に一切その記載がないという事実からも確証できる。そして,この「教育業務用メールアドレス」に関しては,それより十余年経つ今現在に至ってもまだ,そのアクセス方法についての正式な回答はない。
大学教員の「日常(正規)業務」は,既に「裁量労働」を巡って説明した通り,「研究業務」と「教育業務」,及び,これらに直接する限りでの「事務業務」の3つがあり,その全てを合理的かつ円滑に遂行するためには,「メール」が正常に使用できることが必要である。そして,「メールアドレス」が変更されれば,各関係先にその旨を連絡し,またこれまで当該「メールアドレス」を使用していたサービスにおいても,その「変更手続き」を強いられることとなる。
ところが,「新メールアドレス」がいつ使用できるのかについて目処が立たなければ,これら「各種変更手続き」を全く行うことができず,このままでは確実に,新年度に入ってからの「研究業務」・「教育業務」・「事務業務」の全てに支障が来されることは必至であった。
筆者からの「問合せ」に対して「情報センター」は故意に「回答」をしないわけであるから,その「業務怠慢」は明らかである。このため,2010年(平成22年)4月10日付で当時の情報センター長に「内容証明」を送付し,当該職員による「業務怠慢」について抗議した。
しかし,これに対する「回答」すらなかった。従って,「情報センター長」自らの「業務怠慢」は明らかである。
ここで前項の内容を思い起こして頂きたいのであるが,筆者の病状については,この時既に2010年(平成22年)4月4日付「内容証明」で,大西晴樹学長に報告済みである。
従って,この時点で「大学執行部」には,筆者における「心因性疾患」の「増悪」に対する「予見可能性」があり,「学長」を中心とする「大学執行部」が,業務における「阻害要因」を積極的に排除し,更に,筆者の「傷病」に対する「増悪防止措置」を講じたか否かが問題となってくる。
ところが,この様に「情報センター長」及び「学長」に宛てて「内容証明」を送付したにも拘らず,この「業務妨害」はその後も不作為の作為により放置されることとなるのである。
「情報センター」が主張するように「サブドメインは変更済みである」というのであれば,「新メールアカウント」 にアクセスできない原因を特定する必要がある。しかし,メールサーバーの仕様に関する情報を「情報センター職員」が故意に教えようとはしないのであるから,「情報センター」が主張する「サブドメインが変更された」ということを前提条件にして,筆者が独力で解決する方法を探らねばならなかった。
このため,あらゆる可能性を想定し,他の業務の合間を縫ってその一つ一つを確認していく作業を連日徹夜で行うこととなる。この作業は2010年(平成22年)4月28日の前夜まで続いた。というのは,この日やっと情報センターの職員らが筆者の研究室に立会い,動作確認をすることになったからである。
その結果については,4月29日付で学長宛に報告書を送付し,更に,この文書を添付して,2010年4月30日付で教養教育センター長嶋田彩司教授宛に「メールサーバについて(報告)」という報告書を送付した。
(尚,この報告書の内容そのものに関しては,「教養教育センター長」の指示によって,この情報センター職員立会いの場に「教養教育センター共同研究室教学補佐」の方一名が同席し, 間違いないことをご確認頂いている。)
結局,2010年4月1日付情報センター回答メールに記された「サブドメインを切り替えた」というのは虚偽であり,2010年4月28日になって初めてその事実を情報センター側が認めたというのが事の顛末である。
この間,連日徹夜で行うことになった作業による変則的業務の時間は過労死ラインを優に超えるものであった。当然,「裁量労働制」および「36協定」を偽装し続け,「安全配慮義務」の観念もない大学執行部が,筆者のこの心身の苦痛に寄り添うなどということは決してあり得なかったのである。
実際,学長からは,嶋田彩司教養教育センター長を通じ,「学長は情報センターの言い分を信じており,貴方に全面的に問題があると判断しており,このままでは貴方は辞職に追い込まれる可能性がある」と威迫を受けている。
次は,2010年9月11日付情報センター長宛「警告書」である。(このとき既に病状が著しく悪化してきていたために引用した内容証明郵便の日付を誤記している。)
これに対しても一切回答がなかった。そのために,実際,この10月1日に高輪署に告訴状を提出した。
情報センター職員らは,その後も自分らの非を認めていない。それどころか,労災調査の段階に至っても横浜西労働基準監督署に,次の様な「虚偽の事実」を記した証拠書類を提出している。
どうもこの頃,情報センター職員らは「プロジェクトXゴッコ」の真っ最中だったらしい。
そんな中,他大職員が本学の情報センターをどのように評価していたのかについては,例えば次のウェブサイトが参考になるだろう。
4.教務部の不作為
この様に,情報センター職員らの不作為によって,2010年度(平成22年度)開始直後から筆者の学内メールアドレスが使用できなくなり,実際に業務に支障が来されることとなる。そして,既述の通り,この「業務妨害」が発生した直後,同年4月4日付「内容証明」により「学長」に報告したが,「学長」はこの筆者の業務における「阻害要因」を故意に解消しようせず,この「業務妨害」の状態はその後一週間を過ぎても,まだ放置されたままであった。
既に新学期の授業が開始する時期に入っている。特に筆者が担当する「全学共通科目」は「選択科目」であることから,1〜4回の間に出席者が毎回大幅に入れ替わるということが生じ,「初回ガイダンス」に説明した内容を5月中旬に入るまで毎回説明し直さねばならないということが普通である。
ところで,前回記した通り,筆者の授業は「大学設置基準」を遵守すべく原則的に「欠席」を認めていないため,4月から5月半ばにかけては,「初回ガイダンス」を受講しなかった学生から,後から後から履修登録と出欠確認の問合せがくることになるが,その際の「連絡手段」として用いているのが「教育業務用メールアドレス」である。
ところが,新学期に入って突然,事前にシラバスに明記してあるこの「教育業務用メールアドレス」が何時使用できるようになるのかが不明な状態に陥ったわけであり,この様に突如として「連絡手段」が奪われることとなった状態において,「成績評価の公平性」を保ちつつ「教育業務」を滞りなく遂行することは不可能である1。
そこで,2010年4月11日付文書にて,「教養教育センター長」・「教務部長」・「学生部長」に宛てて,「情報センター」による「業務妨害」の事実を報告し,これが正常化するまで「業務」を停止せざるをえない旨を伝えることにした。
この文書の内容は,ここで問題となる事象にとって決定的な物証ともなるべきはずであるが,大学側は「横浜西労働基準監督署」(労災申請)の調査においても,「神奈川労働局」(審査請求)の調査においても,故意にこの文書を提出していない。
ところで大学は,労基署に次のような証拠書類を提出している。(実際には大きな用紙に印刷された一覧なのであるが,必要箇所を切り出した。また,赤枠は筆者による。)
最早,説明の必要はないであろうが,上記「2010年4月11日付教養教育センター長・教務部長・学生部長宛文書」が翌4月12日に届いていたにも拘らず,学長(学長室長)自らが不作為を働くよう命じ,教務部教務課が「休講掲示」を出すことを怠ったために,履修希望者が混乱するような情報撹乱が生じたということになる。
ところが,今度はそれを「教員の側から大学に連絡がない」などと偽証し,あたかも筆者が事前の連絡もなく「業務怠慢」を行ったように事実を歪曲し,もって筆者に「責任転嫁」したというわけである。
念の為に述べておくが,この文書は「教養教育センター長」,「教務部長」,「学生部長」のそれぞれに,2通の内容証明郵便(2010年4月4日付大西晴樹学長宛,2010年4月10日付情報センター長宛)の写しを添付して送付した。従って,4月12日の時点で,嶋田教養教育センター長がそこに記された事実を知らないはずはないのである。
その嶋田教授からは,4月15日付で拙宅にFAXが届き,それに対して同日付で筆者も返信した。
この2010年4月15日に教養教育センター長と筆者との間で遣り取りされた内容のうち,重要な論点は次の二点である。
(1)「大学執行部」は,筆者が「正規業務」を円滑に遂行しようとする上で生じている「阻害要因」を意図的に放置し続けた。
(2)「教務部長」は,筆者が「正規業務」に関わる「文書」を送付したにも拘らず,これに故意に「回答」せず放置した。
これらの事実は全て,大学側から労基署に提出された「物証」(筆者が大学に送付した文書も含む)のみによって確証される事実である。
ちなみに,2020年(令和2年)6月1日に施行された「改正 労働施策総合推進法」によって,今年2022年(令和4年)4月1日から,中小企業に対しても「パワーハラスメント防止措置」が義務化されることになった。しかし,これ以前にも「努力義務」が課されていたものである。このときの筆者に対する上記の大学の対応は,「人間関係からの切り離し」および「過大な要求」による明らかな「パワーハラスメント」である。
ところが,大学はこの「人権侵害」をここから更に拡大させることになる。次は,先ほどの一覧の続きである。(赤枠は筆者による。)
2010年4月23日15時30分頃,「読売新聞社」から,大学が捏造工作した「授業ボイコット騒動」に対する事実確認の電話が教務課にあった。
この為,同日16時10分から「学長,副学長,学長室長,事務局長,教務部次長,広報室長で対応を協議」したようなのだが,その後,広報室長が先方に連絡した際に,同記者が「記事を掲載するかどうか決定するため事実の確認を行っている」と述べていることから,この協議が開始された16時10分の時点では,未だ掲載することは決定されていなかったということになる。
ここで思い起こして頂きたいのは,筆者は既に2010年4月4日付「内容証明」で大西晴樹学長に筆者の「病状」を報告済みであるという事実である。そして,もしも学長が筆者に対する「安全配慮義務」を果たし,また,「パワーハラスメント防止措置」を遵守する意志が些かでもおありであったとするならば,この時点で,それが掲載されるのを引き留めていたはずである。
ところが,あろうことか学長はその投稿者が明学生の「保証人」であることを利用して,筆者を「問題教員」として仕立てるべく虚偽の事実を吹き込み,掲載することを唆したのである。
こうして「虚偽の事実」を捏造工作した上で,横浜西労働基準監督署の労災調査に誇らしげに「物証」として提出している。
これまで当noteアカウント記事を熱心にお読みになった方々はもうお気づきだろうと思うが,このように自分らの意に沿わない教員を貶めることを目的として,「学生」やその「保証人」に虚偽の事実を吹き込んで唆すという手法は,まさに前回記事の中で取り上げた「明治学院大学事件」で明らかとなったこの大学の組織的工作における常套手段である。
また,このような手段は,「学生授業評価アンケート」を利用する形で教員の解雇事由の捏造工作にも用いられているということは,前回詳述した通りである。
これが明治学院大学で実践が奨励されている建学の理念 “Do for Others(他者への貢献)” の現実である。
さて,「読売新聞社」は,こうした「組織的人権侵害」の片棒を担いだことに対し,どのように釈明するのだろうか。いや,それ以上に,その明治学院大学の「裁量労働制偽装」,「36協定偽装」,「安全配慮義務違反」等々の明らかな「労働基準法違反」に対しては,その社会的正義を貫かないのだろうか。
原因や経緯をよく知りもせず自ら調査もしていない事柄に対し,偶さかそれが目に付いたというだけで反射的に飛び付き,的外れの正義感を奮って二次加害に与するなど,SNSに屯しては被害者を揶揄する所謂「ネトウヨ」の心性と何が異なるのだろうか。
5.教養教育センター長の偽証
前項に見た通り,「情報センター」及び「教務部」が,各々の「職務怠慢」の結果を筆者に「責任転嫁」し,それを「大学執行部」が悪用して筆者を追い込もうとし始めたことを予感したとき,筆者は「このままでは殺される」と思った。とにかく,先手を打っておかなければならなかった。
この為,「大学執行部」らが捏造工作して「授業ボイコット」と称する事件が発生していた2010年4月14日に,それまでの間「学長」に宛てた「内容証明」4通の写しを添付し,嶋田教授に送付した。
案の定,これ以降,教養教育センター長嶋田教授が「内容証明郵便」で回答した事実はない。そればかりか,2012年(平成24年)9月28日付「決定書」(神基審発第 23-127 号)における同教授の「証言」を一読しても,この2010年(平成22年)4月14日付文書については秘匿し,「労基署」に提出すらしていないのである。
念の為,同文書に添付した2010年4月4日付大西晴樹学長宛「内容証明」(第59149号)であるが,重複を厭わず,以下に引く。
従って,この2010年4月4日付「内容証明書」の写しを受領した時点で,「養教育センター長」には,筆者における「心因性疾患」の「増悪」に対する「予見可能性」があったことになる。即ち,「学長」を中心とする「大学執行部」と共に,業務における「阻害要因」を積極的に排除し,更に,筆者の「傷病」に対する「増悪防止措置」を講じる義務が生じるのである。
先ず,嶋田教養教育センター長は,「労基署」聴取において次のように「証言」している。
これは上掲2010年4月14日付文書,及び,その添付文書である2010年4月4日付学長宛「内容証明書」によって知り得た事実の「隠蔽工作」である。これに加えて,前任の教養教育センター長亀ヶ谷純一教授が,筆者を「教養教育センター教授会」に参席させ筆者の意思を確認したなどという事実はなく,また,その様な「教授会記録」(議事録)も存在しないため,明らかな偽証と言える。(これについては,稿を改めて詳述する。)
これが筆者が「教養教育センター」へ「移籍」する直前の状況に関して為された「証言」であるとするならば,ましてや,それ以降の「事件」について,嶋田教授が真実を語るはずはないであろう。次は,同年6月16日に「学生部委員会」の席で起こった「事件」に関する嶋田教授の「証言」である。
それでは,「私(嶋田教授)に宛てて文書が送られてきた」ならば,どうしてその「物証」(書証)を「労基署」に提出していないのであろうか。それは,そこに記載された事実が明るみになることによって,ご自身の「証言」に不都合が生じるからである。
次が,当該2010年6月28日付教養教育センター長宛文書「学生部委員会の件」であり,筆者の側から「物証」(書証)として提出したものである。
ちなみに,ここに登場する「寄川教授」というのは,前回記事で詳述した新任の「倫理学」担当教員のことであり,前年度(2009年度)に嶋田彩司教授自らの手による不正人事によって任用した人物である。
簡潔に纏めれば,この「学生部委員会」に関する事件は,既に4月の段階で講ずべきであった「増悪防止措置」を嶋田教授が怠り続けた結果として,筆者の傷病が「増悪」し,加えて,また同教授が不正人事の末に任用した人物の虚言により間接的に引き起こされた結果が,筆者に更なる業務上の「過重負荷」をかけることになったという事例である。
従って,上記「証言⑳」では,あたかも自らの配慮によって筆者に「救済措置」を講ずることができたかのように述べているが,実のところ,自らの「業務怠慢」によって引き起こされた問題を筆者に指摘されて初めて,慌てて取り繕ったに過ぎないという事実を,更に隠蔽するための「詭弁」であり「偽証」である。
更に,次の「証言㉒」では,この「詭弁」と辻褄を合わせるべく,事実を捏造して偽証している。
それはそうであろう,筆者が移籍する前には,筆者が「心因性疾患」に罹患している事実を知りながら,人事手続きにおいて公然と「パワーハラスメント」を行い,それが「増悪」するように仕向けていたのであるから,「労基署」聴取の場では,この様な苦しい言い訳をするしかなかったのであろう。
6.増悪防止措置義務違反
そればかりではない。筆者が2010年(平成22年)6月28日付で送付した文書に対し,嶋田教授自身が回答書を返送しているのであるが,同教授はその文書の内容すら労基署調査で秘匿している。
さて,前項冒頭に示した通り,筆者は2010年4月14日付で嶋田教授に文書を送付し,その際,同年4月4日付学長宛「内容証明」を添付している。
従って,当該文書を受領した後は,嶋田教養教育センター長には,筆者が抱える傷病の「増悪」に対する「予見可能性」があったことになる。更に,先の2010年6月28日付教養教育センター長宛文書には,実際に傷病が「増悪」した事実について明記されているため,この時点で,不作為の作為による「傷害致傷」が成立する。
このため,嶋田教授による上記7月5日付文書に記された内容は,まさに,この「不作為の作為」を裏付ける「物証」(書証)となる。これは次の2点を証言することとなるからである。
- 「皆さんに先生の体調不良の由をお伝えすることになります」と述べていることから,同年4月14日付文書で通知して以来,筆者の「心因性疾患」については,それまで他の教養教育センター所属教員らに周知させることを怠り,筆者の当該疾患に対する「支援体制」がなかった事実を「証言」している。従って,この7月5日の時点に至るまで,筆者には業務上の「過重負荷」が継続的に発生していたことは明らかである。
- 「今後同様の申し出がなされた場合の先例となりますので,かんたんな診断書のご提出をお願いできればと存じます」と述べていることから,同年4月14日以降,この7月5日の時点に至るまで,「診断書」提出を要求せず,更に,「産業医」に面談させるなどして「医学的合理的な判断」に基づく「業務軽減」を行わなかった事実を「証言」している。従って,継続的な「増悪防止措置義務違反」が行われ,その結果,筆者の傷病が「増悪」するに至ったということは明らかである。
このうち,「1」について言えば,この嶋田教授の不適切な対応の結果として,例えば,「学生部委員会」に関して,本来的にその必要もなかった同年6月28日付文書を筆者が記すことを強いられることとなった。同様に,傷病が増悪していく中,こういった類の「非正規業務」を後から後から筆者は強いられ続けることとなったのである。
次に,「2」ついて言えば,筆者は教養教育センター長の指示通り,同年7月9日に掛かり付けの「内科」主治医より「診断書」を作成してもらい,同年7月12日付文書に添付の上,「教養教育センター長」に加え,大学「健康支援センター」にも提出している。
このとき,大学「健康支援センター」には前年2009年4月2日に「心因性疾患」を発症している旨を報告しており,それに加えて,今回新たに2010年7月12日付で,当該「心因性疾患」が持続している事実を報告しているため,大学は,筆者の「心因性疾患」が一年以上の長期にわたっている事実については関知していることになり,従って,この時点で,大学には,筆者が「精神障害」を発症することについての「予見可能性」があったということにならざるをえない。
それにも拘らず,この場に至っても,大学は筆者を「産業医」に面談させ傷病休暇をとらせる等の「増悪防止措置」を講ずることはなかったのである。
この点について,教養教育センター長 嶋田彩司 教授は「労基署」聴取において,次の様に「証言」している。(赤枠は筆者による。)
しかし,この「証言」は,「医学的判断をする権限をもたない者の印象に基づき判断をした」と自白するものであり,「増悪防止措置義務違反」を意図的に行ったことを裏付ける決定的な「人証」であると言える。
この様な「安全配慮義務違反」は延々と続いて今に至るのである。
更に,嶋田教授はあと一つの「証言」で,最早弁解の余地なき「偽証」さえ行なっている。
既に第1項で述べた通り,筆者が「抑うつ症」を発症していることが医学的に確認されたのは2010年9月5日のことである。その直後,同年9月7日付文書に「診断書」を添付して,その事実を「教養教育センター長」並びに大学「健康支援センター」に報告している。
再度述べるが,この文書の日付は「9月7日」である。
そうであれば,嶋田教授の「10月下旬から11月下旬に掛けて,大変具合が悪そうな時期があり,私は見かねて」措置を講じたという「証言」は,端的な「偽証」でしかないであろう。そして,このために嶋田教授は,この重要な「物証」(書証)を「労基署」に提出せず,更に,その内容についても秘匿する必要があったのである。
嶋田教授の上記「労基署」聴取における「証言㉓」は,単なる偽証であることを通り越して,9月上旬に罹患の事実が確認されて尚,一ヶ月間以上もの期間放置し,そのまま秋学期の業務を強要することによって,更に「増悪」させたという事実を自白したものであり,最早,未必の故意による「傷害致傷」の揺ぎ無い「人証」であるとさえ言いうるものである。
以上のように,教養教育センター長嶋田彩司教授は,自ら行った「ハラスメント行為」や筆者の「心因性疾患」に対する「増悪防止措置義務違反」の結果生じた事件について,あたかも筆者の病状を慮って自らが「救済措置」を講じたかのように振る舞うことを通じて,筆者には「心理的負荷」がかからなかったという「詭弁」を弄し,事実を隠蔽するべく「労基署」に偽証したのである。
7.精神障害の労災補償
2010年12月10日,筆者は体調不良にも拘らず労基署に赴き,持参した労災保険給付申請書類一式を提出した。ところが,形式上の不備を指摘され,結局,翌2011年1月21日に再提出して受理されることとなる。
実はその頃,大学(学院)が不穏な動きを見せていた。このときの模様を伝えるのは,2010年(平成22年)12月21日付「2010年度 明治学院大学教員組合ニューズレター第6号」である。そこには次のような記載がある。(赤枠は筆者による。)
これによるならば、本学の「就業規則」第16条について,同年11月5日付で「組合執行委員」の側から「業務上の要因で障害・疾病を発症した可能性を排除できない場合であったとしても,解雇を可能とする,といった不適切な表現が見られる」ことについて抗議したのに対し,同年12月13日付の学院側回答では,詭弁を弄してその条項を固持したというのである。
実際,当該条項は次の通りである。(赤枠は筆者による。)
前項で見た教養教育センター長嶋田彩司教授の「証言㉓」に,「(嶋田教授が)本校の欠勤制度を利用して療養に努められたらいかがと提案した」とあるのだが,入職して以来,過重労働とストレスにより幾度となく体調を崩してはそれを訴えて続けたきたにも拘らず,そして,まさにこの年度開始以来幾つもの文書で報告してきたにも拘らず,それまではこの「傷病欠勤」の制度があること自体が伏せられ続けてきたのであるが,何故ここへ来て大学側が突然,その制度を用いることを勧めてきたのであろうか?
それは,「傷病欠勤」をしたという事実を作ることにより,「精神もしくは身体の障害によって業務に耐えられないと認められた」という条件に当て嵌め,それを口実に,上記「就業規則」により胸を張って「解雇」できるからである。
ところが,これが歴史の偶然ということなのであろう,上述の通り,このときの「教員組合執行部」は,筆者の知る限り最も正常な組合活動をしていたため,まさにこの条項で争っていたわけである。
実は,「明治学院大学教員組合」は執行委員を輪番制で任される御用組合でしかなく,大抵は右も左もわからない新任教員に押し付けられるために殆ど活動実態もないのであるが,このときの「組合執行部」は「教養教育センター」の若手新任教員たちであり,また,大学人としての良識をもっていたために,明治学院大学の様々な理不尽さを目の当たりにして,それを改善しようと努力していた。ところが,このとき希望に満ちて活躍していたその若い同僚たちは,学内組織のあり方の異常さを嘆き,入職して数年のうちに,一人また一人と続けざまに辞職し他学に移っていったのである。
いずれにせよ,このときの組合執行部のおかげで,筆者はこの危険な状況を回避することができた。というのも,この組合執行部がこの時期に大学(学院)に抵抗していなければ,当年度11月中には筆者の即時解雇も在り得たからである。その意味で,筆者はこのとき組合執行部であった若手新任教員らに今でも感謝している。
このような危険な状況の中,既述の通り,筆者は2010年12月10日に一旦労災申請をする。たしかに,このとき書類不備を指摘されて翌2011年1月21日に書類追加の上再提出することにより受理されたものの,この12月10日時点で筆者から「労災申請」があったという事実は,労基署から大学に伝えられたに違いない。
この時間系列は重要である。というのも,「労働基準法第19条」により労災休業中には「解雇制限」があるため,万一,労災調査段階で解雇し後に労災が認められることとなった場合には,解雇無効となる可能性が大である。その場合,その「解雇」の悪質性に対して社会的制裁を受けるリスクが高くなるからである。
多くの読者は「労災」という言葉を知っていたとしても,その具体的な内容については全くご存知ないだろう。筆者もこのように半ば他動的に申請することがなければ,知ろうともしなかった手続きである。
その詳細を知りたければ,厚労省のウェブサイト「精神障害の労災補償について」からリーフレットをダウンロードして閲覧するのが手っ取り早いだろう。話を簡潔にするため,「精神障害の労災認定」から図表を転載する。
先ず,2頁に「労災認定の要件」が示されている。
① 認定基準の対象となる精神障害を発病していること
② 認定基準の対象となる精神障害の発病前おおむね6か月の間に,業務による強い心理的負荷が認められること
③ 業務以外の心理的負荷や個体側要因により発病したとは認められないこと
このうち①は,同頁に一覧が付されている。「抑うつ症」は,F3の「気分[感情]障害」に該当する。
次に,②であるが,この文中に言われる「発病」の日付というは,労災認定においては,当該傷病のために通院した「初診日」のことを指すという決まりになっている。この「初診」のときに「診断書」を発行してもらわないと,後々までこの日付について争うことになりかねない。こうしたことは,「精神障害の労災認定」の謂わば「しきたり」であって,やはり「労災」に詳しい専門家でなければ,決して知ることのないものであろう。
筆者の場合には,この点争いはなく,冒頭に示した「診断書」の通り2010年(平成22年)9月5日が「発症日」ということになる。従って,この日付から遡って「おおむね6か月」,即ち,同年3月からの半年間に「業務による強い心理的負荷」が認められればよいということになる。
ここで「心理的負荷」とは言うものの,具体的に数値化されうるものでもなく,客観的な判断をするのは容易ではないだろう。しかし,「精神障害の労災認定」の「しきたり」では,上記の3〜4頁に示されている通り,「認定基準」が用意されている。ここでは省略するが,具体的には,5頁以降の「業務による心理的負荷評価表」に当て嵌めていくことになる。
要は,担当する「審査官」のさじ加減以外の何ものでもないのである。
但し,上記2頁にあるとおり「同種の労働者が一般的にどう受け止めるかという観点から評価」するために,その限りでの常識的な一般性・客観性は担保されなければならない。読者が大学教員であるならば,当記事第3〜6項までに記した出来事(エピソード)が,ご自分の身に生じた場合にどのように判断するのかを確認してみるとよいだろう。
また,上記「業務による心理的負荷評価表」は,年々具体的な事例・判例が蓄積されることにより,それらの実態に合わせて何度か改正されている。「改正」というのは,「具体例」が増えてきたということである。実は,こうした「労災認定」における「判断指針」が大きく変わったのは,筆者が労災申請をした前年2009年(平成21年)4月6日付の基労補発第0406001号によるものだった。
このため,筆者に関わる「出来事」(エピソード)に関しては,この「労災申請」をした当時の「認定基準」で判断されなければならない。例えば,2005年(平成17年)5月12日付「精神障害等事案に係る類推評価状況等について」では,当時の「心理的負荷評価表」に示されたもののいずれにも該当しないような出来事(エピソード)があり,これに対し,的確に判断が行われるよう留意が促されている。そこに添付された一覧を,以下に転載する。
これらの「類推評価事案」と併せ,上記の令和4年10月厚生労働省発「精神障害の労災認定」3〜4頁に示される評価方法に従い,当記事第3〜6項で論じてきた2010年3〜9月の出来事(エピソード)を判断すれば,普通に考えて,「心理的負荷」は「強」とならざるをえないはずである。
ところが,横浜西労働基準監督署により棄却されることとなったのである。
8.物証
既に過去記事において説明した通り,一般に,労災が認められなかった場合,決定を下した労基署を管轄する都道府県労働局の労働者災害補償保険審査官に対し「審査請求」を行うことができる。しかもこの請求は,その決定を知った翌日から起算して3ヶ月以内に行う必要があるが,この間,労基署の判断に対する反論を準備しなければならないため,その判断根拠となった申請者本人に関する保有個人情報の全て(「実地調査復命書」および添付資料一切)の開示請求を行い,これに基づき「審査請求」するわけである。
この「実地調査復命書および添付資料一切」が手許に届くまでには,通常,早くても一ヶ月はかかる。そして,それらが届いてからその全ての書類に目を通し,反論を準備し,手続き書類と共にそれらに対する「意見書」を提出することになる。殆ど時間はない。しかも,このとき筆者は「身体性抑うつ症」のため起き上がっているのも苦痛で,日常生活にすら支障が来されていた様な状態だった。手続き方法等について独力で調べ申請するのには限界があった。
そこで,代理人申請をすることにした。勿論,意見書そのものに関しては,事情を知っている筆者自身が書くより他はないが,申請の形式的手続きに関して,それを熟知している方に頼めば,余計な労力を減らすことができる。
いろいろ検討した末,「働くもののいのちと健康を守る神奈川センター」の稲木健志氏にお世話になることとなった。このセンターは,特に過労死・過労自殺に関する「労災事件」を専門に扱っているようであり,この稲木氏も,神奈川県内の様々な労基署と遣り取りしてきたベテランであった。
最初センターに赴き経緯を説明し,「審査請求」の希望を伝えると,稲木氏は「とにかく労基署に行って原処分をした人に直接聞いてみないと反論もできないじゃない。復命書が来るのも大分先だし,それまでの間にある程度反論は考えておかないといけないわけなんだし。」といった調子だった。こうして2012年1月26日に横浜西労働基準監督署(当時は現在とは異なる場所に所在していた)へ一緒に行くことになった。
筆者の担当者は林淳子事務官だったが,稲木氏が「先ず棄却の理由を簡単に説明してもらいたいんだけど」と切り出すと,林事務官はボソボソダラダラと続けていく。それに対して稲木氏が時折「そりゃおかしいでしょ?」「そんなことないでしょ?」「普通の労基署じゃこういう風に判断するんじゃないの?」と話を遮り,その度に筆者に「そんなことあるの?」「ちょっと意味がわからないんだけど,どういうこと?」と訪ね,それについて説明しては,再び林事務官に「この先生が今説明したことに対してどう答えるの?」と詰問するという感じで進んでいった。
とにかく,こちらが質問する度に林事務官は殆ど何も答えられず,そこで会話が途切れてしまい,更に稲木氏がまた次の質問をするので,林事務官がどんどん半べそのようになっていく。筆者は「何で判断を下した人がこんなに自信なさげにしているのだろうか?」と思ったほどだった。
勿論,既に「請求棄却」の判断が下された後なので,ここで幾ら議論してみても仕方がない。しかし,「審査請求」のために反論すべき点を絞らなければならないわけであるから,こちら側から何を証明すればよいのかを明確にして貰わなければ困るということも事実である。
こうして林事務官のノラリクラリとした説明とそれに対する稲木氏の奇譚のないツッコミを聞いているうちに,どうも労基署も人員不足で一つ一つの事件に丁寧に関わってはいられないようであり,筆者が提出した証拠書類の殆どをよく読みもせず,その内容を十分に理解もしないまま,大学側の言い分をただ繋ぎ合わせて作文をしただけのようだった。だから,こちらが提出した物証について説明を求めても,何も答えられないのである。
そこで,稲木氏に「最後に,先生のほうから訪ねたいことは何かある?」と振られたので,「私のほうから散々大学に対して内容証明などの文書を送っても全く回答がないのですが,それらの物証に対して,大学側からは何か反論文書のようなものは提出されているのですか?」と聞くと,林事務官が言うには「そういう類のものは全く提出されてません」ということだった。
とにかく,何ら有意義な情報も得られないような面談の場で,体不調の中,わざわざ出掛ける必要もなかったと後悔さえ覚えた。
その後,「実地調査復命書および添付資料一切」が手許に届くことになるのだが,それは辞書一冊分ぐらいの厚さの膨大な文書量になる。だが,こちらは文科系の博士号取得者であり,謂わば文書を扱うプロである。斜めに読んでいけば,その届いた文書の殆どは何の証拠もない,また何らかの事実を証拠付ける物証にもならない,単なる紙切れでしかないことは簡単にわかる。
面談の場で筆者が感じていたことは,やはり正しかったのであり,筆者が提出した内容証明や文書を決定的に反駁するような物証は,大学からは一切出ていなかった。そして,このことは当記事の第3〜6項において十分に示した通りである。しかも,そこで示したのは高々2010年3〜9月の出来事(エピソード)に関してのみである。これに加えて一体的に評価されるべきそれ以前の出来事(エピソード)については,稿を改めて論じることにしたい。
それにしても驚き呆れたのは,筆者が提出した「内容証明」の全てについて,あたかもそれらが全く存在しなかったかのように扱われていたことである。大学側は回答をしなかったどころか,その内容に対して反論も弁解もしていないものである。こちらは事実しか記していないのであるから,反論しようもないだろう。ただ認める以外ないわけである。
林事務官はそれら全てを排除した上で,証拠すら十分に上げていない大学側証人の偽証だけを纏めて虚偽の事実を捏造しただけである。その結論を要約すると,こうなる。
ボクちゃんは大学でおともだちが少なくて他の人とはトラブルになるばかりだし学長には偉そうに楯突くんで,とうとう別な部所に移されたらさびしくてさびしくて,それにメールやコンピューターの使い方もわからなくて,八つ当たりで授業をやらずに学生や親御さんや大学に迷惑をかけてからは不安で不安で気分が落ち込んで,ついに病気になっちゃったんでちゅ〜
これぐらい頭の悪い纏めである。林事務官は文書を読んで理解できない上,文書の内容同士の関連や時間的前後関係すら把握できないようであり,何か推論に困難があるような大脳疾患でも抱えているのかと疑ったほどである。
だが,その後,「審査請求」(労働局),「再審査請求」(労働保険審査会),「行政訴訟」(厚労省/国)に至るまで,この頭の悪い捏造ストーリーがただ書き写されるだけであった。
そもそもこの「労災申請」は,たしかに「解雇制限」の効果があるという側面はあるにせよ,単なる「保険」として見た場合には,ただ毎月の定期通院にかかる診察代と薬代の全額負担を請求するものに過ぎない。ということは,額としては月々数千円ぐらいのものなのだ。つまり,筆者としても,別にわざわざ負担してもらう必要もないほど少額である。
だがしかし,こうした金銭の問題とは全く無関係に,それでも続ける意味がある。それは,明治学院大学の組織的人権侵害に関する揺るぎない「物証」を手に入れるということである。
というのは,これまでの当アカウントが掲載してきた記事をご覧になればわかる通り,行政機関が間に介在することによって,通常では直接入手できないような文書を手に入れることができる。大学側は隠蔽工作を目的として後から後から大量の糞を投げつけてくるが,それら全てが大学にとって後々不利になるような何らかの事柄を立証するための「物証」となるということがわからないのだろう。
少なくとも,筆者に関わる組織的人権侵害に関する限り,「行政訴訟」にまで至って,筆者が提示する物証を反証するような物証は大学側には一切ないということが,明白になった。つまり,筆者は明治学院大学の組織的人権侵害について立論するに足る強力な物証を幾つも所持しているということになるわけだ。
最後に,「過労死」や「過労自殺」について若干のことを述べておきたい。
一般に,こうした事故・事件が起きると,遺族らはその「証拠」を必死に探し求める。その際,よく言われるのは,「日記」や「メモ」やウェブ上の何らかの「記録」(SNS/BLOG/ウェブ日記等々)があれば,それが証拠となるというものである。
しかし,少なくとも「労災」において,それらは全く役に立たないと思っておいたほうがよい。それをこれから証明しよう。
当記事では,筆者が2010年に罹患した「抑うつ症」について,特に4月から9月にかけての出来事(エピソード)を追った。次が,その時期に記した筆者の「ウェブ日記」である。(但し,これは今は休止している旧ウェブサイトに記していた「ウェブ日記」の内容を新サイトのBLOGとして纏めて転載したものである。内容に関しては,当時の読者らが保証することだろう。)
もしも「労災認定」において,被災者自体が記録したものが「心理的負荷」を判断する上での「物証」として認められるとするならば,これらは正当に「物証」として認められることになる。
ところで,筆者は2014年1月23日付で横浜地裁に「労災補償給付不支給決定取消請求」の行政訴訟を提起した。すると,同年4月18日に,まさにこの「ウェブ日記」に対して,同一IPアドレス “210.227.145.216” から,それまで経験したことがなかったような執拗なアクセスが見られた。
このIPアドレスが割り当てられている組織は「労働省」である。そこで,事実確認をするために,最寄りの行政評価事務所に次の様な「行政苦情申立書」を送付した。
すると,しばらくして回答があり,「厚生労働省職員がアクセスしたことは間違いのないことであり,その目的は行政訴訟の調査のためである」というのである。即ち,この「労災補償給付不支給決定取消請求」の行政事件訴訟における事実調査のために,被告である国(厚生労働省)が筆者自身の記した記録を全て直接確認した,ということを正式に認めたわけである。
結果はどうであっただろうか。相変わらず,林事務官が捏造した頭の悪い作文内容を引き写しにしただけだった。
この国は,組織的人権侵害を行う団体組織によって命や健康を奪われた被害者に対し,どこまでも揶揄し侮蔑するのである。
注
- もしも大学教員でありながらこの意味がわからないとすれば,「大学設置基準」に定められる各授業回の予復習や出席等の確認を怠り,結果として「単位の不正認定」を日常的に行っている違反者であるということであり,むしろ,それによって大学が行政指導を受ける可能性がある。