差別待遇

MGU

会議

先週からの疲労を蓄積させたまま風邪をひき,そのためにまた酷く体調が悪い。そして,その様な日に限って,会議で品川まで出校しなければならない。会議の席に着いたときにはすでに身体がだるく,じっと座ってられない状態であった。

しかも新学期最初の学部会議であるだけに報告事項・議題ともに多く,更に,どうでもいいところでりきの入る人がいるものなので,いい加減に生理的な不快感が募ってきていた。

そうした不快感もあってか,研究費関係についての学部の人間の考えにはついていけなかった。というのは,「研究費が削減されれば,研究室で使うコンピュータも買えなくなる」という不満をこぼしているのだ。

研究費

この「研究費」というのは「個人研究費」以外の予算のことである。つまり,この発言に異議のないことを踏まえるならば,「個人研究費」とは全く別に,個人研究室で使用するコンピュータを購入する費用(あるいは当該の物品そのもの)が支給されるのが当然であると考えられているわけである。

ところが,既に,「当サイト開設にあたって Prooemium」(旧サイト)に詳述した通り,そのように普通の教員には支給されるのが当然であるはずのものを受け取る権利は,少なくとも,元一般教育部の学部分属者には与えられないのが当然であると考えられているようだ。実際,私の周りにおられる分属者も,個人研究室に設置している教育用コンピュータは「個人研究費」どころか「私費」で購入している。

再度言うが,私は「コンピュータ」どころか,突然故障してしまった「ディスプレイ」の交換,毎回の講義において配布する2000枚近いプリント等を作成する作業のために必要な「テーブル」すらも,個人で購入した。

現在のところ研究室にはコンピュータを置いてない。

自宅から外出するときには Zaurus を携帯するのみであるが,ここでちょっとした文書(TXT ファイルのみ)を作成することはできても,その文書をプリントアウトすることはできない。これをプリンタに接続するためには,接続のための特別な周辺機器が必要であり,設定には上級者のテクニックが要される。今のところ,これだけのために研究室に赴き設定するなどという時間はない。大体,そのためにもまた新たに周辺機器を購入しなければならない。それも自腹を切ることになるだろう。

だから,実質的に,研究室で文書作成の業務を行うということは不可能である。

「そっち」とは?

そういえば,昨年度,共通科目の「古典語」に関して,「ラテン語」はフランス文学科が「ギリシア語」は英文学科が,それぞれ開講責任をもつということが学部会議で決議された。

私は共通科目の「諸領域」の担当者であって,「語学領域」の担当者ではない。だが,「哲学」と「古典語」を兼任しておられる非常勤講師の方々もおられることから,微力ながら協力させて頂いてはいる。

ところで,年度末に「教科会議」なるものがあり,その打ち上げの「懇親会」でこうした非常勤講師をお招きすることになっているのであるが,フランス文学科では「古典語」に関しては「関係がないので呼ばない」ということで,「そっちのほうでやってくれ」とのことであった。

もう一度言う。私は共通科目の「諸領域」の担当者であって,「語学領域」の担当者ではない。「そっちのほうで」というのは,何を指しているのだろうか。学部会議で決議されたことは「ラテン語はフランス文学科が開講責任をもつ」ということであったはずだ。

この前提となる命題の意味を理解できないのだろうか。それとも,フランス文学科教員らが自分自身を指して「そっちのほう」でと言っているのだろうか。前者であれば単に愚かな・・・だけであろう。後者であれば単に狂っている・・・・・だけなのだろう。

もうこのことについては理性の埒外であるので,考えるのはよそう。


旧ウェブ日記2004年10月13日付

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