異なる校地
今日は慌ただしい一日だった。
提出しなければならない書類がたまっていたのだが,横浜校地に行ったところ,しばらくメールボックスを見ない間に,事前の連絡のない書類が「学内便」で届いており,それについて処理をしたり,その他のことをして何とかその日に終えようと奮闘しているうちに,夕方になってしまった。
学科会議があったことは承知していたのだが,「研究室」と「所属学科」のある校地が異なるという異常な状態にある以上,優先すべき順位が出てくること,そしてまた,その順位に基づいた結果として,一方が犠牲になるということはやむをえない。
それが私の責任であるというのであれば,申し訳ないが,その成員の一部に本務校地が横浜校地である教員がいる以上,学部・学科の方が隔月で(要するに,交代で),横浜校地にて会議を開くべきである1。
都内へ
とにかく,それらを夕刻までの間に片付けて,丁度来た戸塚駅行きバスに飛び乗り,戸塚駅で東海道線に乗り換え,更にまた丁度来た新宿湘南ライナーに飛び乗り,恵比寿に向かった。
その車中で PDA でメールチェックを行うと,案の上,「科会には来られなかったけれど,本日の送別会にはおいでになるか」という確認メールが入っていた。おそらく予約確認のこともあるだろうからと思い,PDA では入力し難いが,頑張ってそれまでの経緯をしかも簡潔に書き,送信した。
それまでの間,朝から何も口にせず,ただ研究室で 0.7 リットルほどの「水」2を飲んだことと,戸塚駅前のバクスターで10分間の間に口の中に入れたものが,飲食物であった。
おまけにこの1~2習慣ほど風邪が続き(連続してひいていた),このときにはちょっと目眩がしていた。しかし,それでも大切な人の送別会であったので,何が何でも休むまいと意気込んでいった。
現地には10分前にはついたのだが,一番乗りかと思ったところ,既に数名の学科教員の方が来ておられた。安心はしたが,学科会議を休んでいたので,ある意味ではバツは悪かった。知らんぷりしていたが。
まあ,こちらの事情を察する人は察するであろうし,それを非難する人は, 人間的想像力を欠如したその程度の人間ということであろうから,こちらが憂える必要もないだろう。
旧ウェブ日記2006年3月14日付
注
- 更には,「学長」は、常に「校地」に居るべきであるから、必ず、「白金校地」および「横浜校地」に「同時に居なければならない」ということになるだろう — まあ、そういうおバカなことを言っていてもしょうがない。
- 私は研究室に茶や珈琲などは置いておらず,「ブリタ」によって水道水を濾過したものが研究室で口にできる唯一の「飲み物」である。