関係ない
今日は文学部の卒業式らしい。
だが,私にはずっと関係がない。私は学科のゼミをもたせてもらえないため,関係する学生が全くいないからだ。
以前に,一度だけ卒業式の日に出校してみたことがある。学科からは私がどうすればいいのか明確な説明もなく,とにかく学科の卒業生と教員が集まる大教室に行ってみた。
終了した後,相変わらず,誰も説明してくれないので,どうすればいいのかもわからず,しばらくその場に居た。どうも各々の卒業ゼミ単位で担当教員を中心として,それぞれ打ち上げに行くようだった。
私がその場に居る意味など全くない — そのことがわかっただけだった。
人格
今の世の中,教員学生間の関係にあるのは,単に利害に基づく契約関係のみだ。そのどうしようもない関係をやたら美化したがる連中がいるに過ぎない。
実のところ,学生からすれば他の学生や知人に対し虚勢を張るために「ある教員と親しい」という関係をつくればよいし,教員の側も「こんなにも学生に慕われている」という社会的アピールのために学生に媚びれば,それでよい。そんなものだ。
要するに,「相手」を「もの」として利用しているだけなのだ。
私は,これまでずっと自らの教育上のポリシーとして,個人的には学生と関わりをもたないということを貫いてきた。
上記の様な現実に辟易していたということもその理由の一つではあるが,これに加えて,深く関わるならば自分の負っているものを相手に負わせてしまう可能性があるということに気付いていたからである。実際,これまで私に近付いてきた学生らの多くは,何らかの心の傷をもっていた。特別な話をしなくても私にはそれがわかるし,学生の側も敏感である。
だから,むしろ単なる利害関係である教員学生の関係のほうが,ずっと健全なのかもしれない。そもそも相手に対して「人格」など本当は誰も求めていないのだから。
旧ウェブ日記2010年3月8日付