(2004年旧サイト開設時の状態を復元)
※ 下の【目次】から,必要な項目に直接ジャンプすることができます。
文字コードについて
精神史 (intellectual history) における問題に取り組むためには多言語混在環境にならざるをえない。従って,そのテキストを ウェブ上に公開するにあたって,必然的に,文字コードの問題を考慮する必要が出てくる。
勿論,当サイトで記述上用いられ,また対象テキストに対してメタ言語の役割を果たすのは日本語ではあるが,これに対して設定されている文字コードが charset=EUC-JP であれ charset=Shift_JIS であれ,対象言語となるテキストの特殊文字を表記するために,それに合わせて,lang 属性に対し,lang=”de” lang=”en” lang=”fr” lang=”ja” lang=”ko” lang=”zh” 等々と,一々切り替えねばならなくなる。html 上では,非常に煩雑な手続きが強いられることとなるのだ。
これに対する決定的な解決方法はないのではあるが,今現在最も有効であると考えられる手段は Unicode (UTF-8) への移行である。即ち,html を utf8 で記述してやり,charset=UTF-8 で表示するのである。
当サイトでは,試みに,この Unicode 環境で記述・表示することにする(一部のコンテンツを除いて)。このため,Unicode に未対応のブラウザで閲覧すると一部文字化けのため閲覧できない箇所が出てくるが,しかし,これが国際的な流れであるという意識を共有していくためにも,敢えてこの方針を貫きたい。
(以上,2004年当サイト開設時の状態に復元。但し,リンク等については適宜修正を施した。)
一般的注意
当サイトに記載の内容は,言うまでもなく,プライヴェートなものである。ある一つの記述は,ある閲覧者にとっては無限に情報を与えるものであろうし,また他の閲覧者にとっては,便所の落書きに等しい価値しかもたないかも知れない。しかし,私にとっては全て事実である。
それでも,人にとっては虚偽と見えるかもしれない。明らかな事実の誤認と思われる場合には,その誤認であることを証明する資料と共に,訂正の旨をご連絡頂きたい。
当サイトの内容は,開設者自らの自由意志によって記述され,また,自由意志によって書き換えられ,自由意志によって削除される。それは,如何なる外力にも屈しないことを意味する。
しかし,如何なる批判者であれ,共に思索して下さる方の来訪を大いに歓迎するものである。
(以上,2004年当サイト開設時の状態に復元。)
はじめに
「WEBサイト」は,しばしば「情報発信」のためのツールであると語られる。
日本においては,1992年9月30日に最初の「WEBサイト」が発信された。そもそも我々がインターネット上で提供されている数々の情報を安心して検索・参照することができるのは,WWW(World Wide Web)という仕組みに全面的に負っている。この仕組み自体は,スイスのCERN(セルン,欧州合同原子核研究機関)に勤務していたティム・バーナーズリー (Tim Berners-Lee) によって,1989年3月に発表されたものであった。
その当時のCERNでは研究者の異動が頻繁であり,情報が入ってきては失われていた。このため,バーナーズリーは,流動的な情報を保存する上で印刷物は適しておらず,関連情報をリンクさせた電子情報の方が役に立つということ,そして,これが全世界的に直面する問題であるために早急に対策を講ずるべきであることを主張したのである。
この様に,WWWというのは,もともと学術研究者が共同研究を効率的に推進するためのツールとして開発された。そして更に,このツールが,専門家の世界から一般人の日常生活の中にも浸透するようになったのは,WWWブラウザの開発によるところ大であった。これらWWWにせよWWWブラウザにせよ,その創始者からして使用権・特許権等の報酬・対価を要求しなかった。このために,現に我々は,それらを無償で使用することが可能となっているのである1。
如何なる報酬・対価をも期待せずに情報を共有する,これこそがWWWの根本的思想であった。
しかし,このような如何なる報酬・対価をも期待しない「知の共有」は,学術的世界における根本的な前提である。無論,極めて特殊かつ膨大なデータベースの作成に費やされる人件費を考慮すれば,それを有償で提供せねばならないこともあるにせよ,現に,決して少なくない数の研究者らは,自らの研究業績をサーバに上げ,それを無償で公開している。また,確かに有益な研究上の情報を,例えば,「リンク集」の様な形で提供している。
これは,このWWWという仕組みを作り上げたいわゆる「理科系」の研究者に限った ことなのではない。今や「文科系」の研究者においても事態は同様であり,ある意味で, 「情報発信」のためのツールとして無くてはならないものとなりつつある。
しかし,当サイトは,はなからその様な「情報発信」を意図してはいない。
いや,そもそも私は,「WEB上には,実は,何らの情報も存在しないのではないか?」という懐疑的立場さえをもとる認識論的なペシミストですらある。せいぜい認めうるのは,「世界中のハードディスクの中に眠る不気味なほどに沈黙する記号列」が無数に存在するという事実である。
それでは,この「ハードディスクに眠り続ける記号列」のことを,我々は,尚も「情報」と呼び続けることができるのであろうか?
少なくとも,私が理解しうることは,そこに「何らかの記号列や図像がある」ということ,そして,それらの「製作者」が存在すること,こういう類のことである。しかし,そうではあっても,それらWEBサイトにあるかくの如き「記号列」を敢えて「情報」と呼ぼうとは思わない。その「情報」が氾濫して行き着く先,それは,ハードディスクが「無意味な記号列の墓場」となるという結末に過ぎないだろう2。
だが,このようにWEBサイトのもつ「情報発信」の力への懐疑に対して,強力な反例ともなるべき国内事例がある。それは,1999年7月に起こった「東芝クレーマー事件」である。これは福岡市在住の会社員が,購入したビデオデッキの不具合についてメーカーにクレームを入れたところ,暴言を浴びせられたために,その一部始終をWEBサイトで報告し,当の暴言を,音声ファイルとして一般に公開したという事件である。
個人サイトとしては異例のアクセス数となったため,これは多くのメディアによって取り上げられることとなった。メーカー側は最初これを一方的な言い分として一蹴していたが,既述の音声ファイルを聞いた利用者からの苦情が殺到するに及んで,遂には副社長が記者会見をして謝罪するに至った。それまでの常識から考えて,たった一人のカスタマーが幾らクレームをつけたとしても,企業側が圧力をかけるならば,泣き寝入りというのが普通であったかもしれない。しかし,この事例は,そのたった一人のサイトにおける「情報発信」が,逆に,大手企業に圧力をかけ,これを動かすことができるということを世に知らしめたのである。
更に,これもまた今ひとつの事例であるが,しばしば,インターネットにおける「仮想現実(ヴァーチャル・リアリティー)」のもつ力について取り沙汰される。それは,何らかの事件とWEBサイトにおけるコンテンツとの相関性を認めるや,自殺志願,薬物依存,猟奇嗜好等々の性癖をもった者に対するインターネットの影響が盛んに云々され,また,いわゆる「出会い系」サイトを通じての事件が後を絶たないことがいわば社会問題となっていることからも首肯されよう。このとき云々されるのは,決まって,インターネットによって「現実と虚構との区別が付かなくなる」ということである。
上記の2つの例は,インターネットが汎用化されてから社会問題として表面化してきた,際立った特徴とも言える。
しかし,これら社会問題の典型において,WEBサイトは本当に「情報発信」の役割を担っていたのであろうか。そもそも,誰かが「これらのWEBサイトには歴とした情報があるのだ」と主張する場合,その人は「情報」という言葉で一体何を指しているというのだろうか。
だから,敢えてこう言おう。このインターネット上にあるものは「真」でも「偽」でもない,また,「善」でも「悪」でもない,ただひたすらに「無意味」なのだ,と。再度,しかし,重ねて言おう。それは同時に,「真」でも「偽」でもある,また,「善」でも「悪」でもある,即ち,「有意味」なのだ,と。
しかし,この様に語ることは,恐ろしい「不条理」ではないのか?
古代ギリシアの哲学者であり「暗き人」と称されたヘラクレイトスは,いみじくも「万物は流転す」と言った。そして,この世の理(ことわり)である「ロゴス logos」が,「ハルモニア harmonia」であることを喝破したことは卓見であった。「ハルモニア」とは,「相対立する要素が動的緊張を孕みながら一致する」ことであり,後のヨーロッパにおいては,「不調和の調和 concordia discors」を意味するものと捉えられた。既述の「不条理」は,まさにこのヘラクレイトスの世界観に相応する。
他方,このヘラクレイトスに先駆けて,かのピュタゴラスは,その同一の語「ハルモニア」を「数理/数比」(テトラクチュス)として説いた。世界には,その見かけの生成流転を越えて,普遍なる秩序が存在すると彼は信じていた。この確信は,あらゆる知識を「普遍数学 Mathesis universalis」として体系付けることを促し,これはいわばヨーロッパの学問的伝統として根付いたのであった。
「真理は一つである」と信ずるとき,我々は,ヘラクレイトスではなく,ピュタゴラスの思想を受け継いでいる。
最早言うまでもないことであろう,WEBサイト上に何らかの「研究の成果」(新たに確定した真理)を公開するということ,このこと自体が,大きな「不条理」をはらんでいる,ということは。これは偏に「意味」の問題である。即ち,その「記号列」が「情報」であると言えるのは,それが「有意味」であるということが前提されているからである。
だが然し,「あるサイトの情報が,ある人をして犯罪に走らしめた」と言うとき,そもそも「その人にとって有意味であった」のであって,「誰にとっても有意味であった」ことを表すわけではない。現に,私がその同じサイトを見ても,犯罪を引き起こすわけではない。つまり,前述のような「不条理」が引き起こされるとすれば,それは,どこまでも「私」が前提されていることに気付かないか,暗に前提してしまっているその前提を故意に排斥しようとしているかのどちらかであるからである。
こうして,現代のIT革命によって,17世紀の哲学者デカルト(René Descartes, 1596-1650)が発見した「コギト cogito」の問題はいよいよ先鋭化された形で蘇ってくることとなる。
IT (Information Technology) の齎したもの,それは,「情報」をリアルタイムに伝達するということであった。
しかし,この「リアルタイム」ということそのものを自覚的・反省的に考える者は皆無である。何故ならば,通常,この語は「同時刻」という意味しか担わされないからである。しかし,原義的には「誰かにとって実在している時間」を指すものであって,その「誰か」というのは他ならぬこの「私」である。従って,「リアルタイムの情報」と言うとき,それは,精確には,「私がある記号列に対して意味づけを与えるとき,そのときの私にとって有意味であるような記号列」を指すことになる。
「情報」は,物理現象と精神現象との,いわば「臨界」にある。
だからこそ,この「私」を除外して,そのサイトに「情報」があるとは言えない。逆に,「私」が「情報発信」すべく,ある記号列をサーバに上げたときには,その記号列によって伝達されるべき「意味」は,「私」にとって,既に消失しているかもしれない。何故ならば,それは「かつて意味づけがなされた記号列」ではあれ,「私が今現在意味づけしているところの記号列」ではないのだから。また,更には,「私」以外の者がそれを眺めるとき,当の意味付けがなされるということがどうして保証されようというのであろうか。
「文科系」の研究においては,殊に「哲学」においては,重要なのは「生のデータ(記号列)」なのではなく,まさに「意味」なのである。あるいはその「生のデータ(記号列)」に対する「意味付け」である。これが必ず伝達されるという保証のない限り,決して「情報発信」したとは言えないのである。
以上が,私が「WEBサイト」に対して抱く疑義である。
しかし,それでありながらも,私はこのサイトを開設する決断を下さざるをえなかった。それは「研究」上の諸条件によって,それを余儀なくされたからである。その主たる理由の3つのものを,以下に記すことにする。
(以上,2004年当サイト開設時の状態に復元。但し,リンク等については適宜修正を施した。)
第1の理由(研究環境における)
2001年4月1日,私は,「明治学院大学 一般教育部」に赴任することとなった。本学は,「横浜校地」(横浜市戸塚区 所在)と「白金校地」(品川区白金台 所在)の2つの校地に分れている。私の担当は主として1・2年生が履修する全学共通科目の哲学・論理学となるため,それが開講される戸塚(横浜)校地が本務校地ということになり,当然,「研究室」もこの戸塚校地に置くこととなる。
後に(「第2の理由」にて)述べる通り,本学に赴任した当時,私は,戸塚校地のすぐ側に住んだ。当然,新任の大学で右も左もわからない。しかし,大学側からは,前もって住環境等についての説明は一切無かった。授業準備や研究のことを考えるならば本務校地に近いほうが良いだろう,と単純に考えた。このため,当初,この研究室に全文献を収納し,ここで研究活動を続けるつもりであった。
研究室の環境は悲惨というべきものであった。
教育という目的を達成するためには,手段が伴う。教材を準備しようとすれば,プリント作成にはコンピュータやプリンタ等が必要となってくる。仮初にも教育機関である以上,新任教員に対して,教育に要する環境を整えるのは大学側であると考えるのが通常の社会通念であろう。それにも関わらず,この件について問い合わせたところ,「ご自分でお使いになるものは,ご自分で購入して下さい」とのことであった。更には,プリント作成等に「作業台」の様なものが必要だから,そのための長テーブルの様なものはないかと問い合わせたところ,全く同様の返答であった。
ところが,新任早々,その様な纏まった金額を捻出することは不可能に近い。既に,引越しだけで借金をしている状態である(その特殊な状況は次項で説明する)。更に,研究費は全て立て替え払いであり,かつ,1年に1度しか清算できないということであった。立て替え払いはいいが,当面の支払いのための額は,どうやって準備すればよいのだろうか。月々の給料は家賃と最低限の文献(殆どは教育用)購入によって殆ど費やされる。夏のボーナスは冷蔵庫1台で消えた。こんな中で,また新たにコンピュータを購入などということは不可能である。
こうして,自宅で用いているノートパソコンを抱え,自宅と大学を徒歩で往復することにした。
元々,このノートは外出先で使う予定で購入してあったものではなく,せいぜい自宅の中で移動するのに簡便であればよかったものであった。従って,ノートといっても2キロか3キロほど重さがあった。そもそも持ち運びには適していない。更に,このノート以外にも,授業準備のための文献などを多いときで10冊ほどカバンにつめているため,徒歩で往復というのは辛いものがある。雨のときなどは傘をさしながらこれらの荷物を両手に抱え持ち運ぶことになる。
そもそも,ノートをもって自宅と大学を往復するなどという面倒なことをせず,作業用のコンピュータを研究室に置き,大学で仕事を済ませてから帰宅するようにすればいいとも考えられよう。ところが,そのような悠長なことは言っていられない状況があった。
「研究室」とは言いながら,利用時間は著しく制限されている。戸塚校地の場合,夜7時を越えると各棟全てが施錠され,9時を越えると大学の門は閉まる。各教員に配布される『教員ハンドブック』によれば,平日の研究室利用時間は午後9時までとなっており,それを越えて研究室に居残る場合には,前もって守衛所に連絡しておかねばならなず,更には,日曜祝日等の休日に利用する必要がある場合には,総務課・庶務課に前もって届けが必要であるとされる。
制限があるのは利用時間だけではない。電話にしても,市外通話が制限されている。赴任した最初の年は,どうしても前任校とのやりとりが必要となる。必要ある毎に研究室を離れ,公衆電話を利用しなければならない。一旦,ある一つの用事を終え,研究室に戻ると,事務から内線が入り,「たった今電話があり,至急連絡がほしいとのことだった」ということはしょっちゅうである。この様な調子で日に十回以上もこの余計な往復をせねばならなかった。その度毎に,自宅に居たほうがどれだけ仕事が捗るかと思わされた。
以上の様に研究室利用に制限があることに加え,大学の近隣には店がない(喫茶・古本屋などの文化とは全く無縁である)ため,食事をしたり,郵便物を出したるするためには,わざわざ戸塚駅までバスで出る必要がある。生協でも書籍・文具の類はまともに揃ってもいないので,そのためにも必要がある度に,いちいち出向く。こんな調子では,研究の前々段階である読書すらも散々に中断され,ようやく集中できると思った頃には,9時をまわっている。それ以降の作業は自宅でやるしかない。
ノートパソコンをもって研究室と自宅とを行き来することにしたはいいが,困るのは,白金校地で授業のある日である。
文献は一切戸塚校地の研究室に収めている。このため,もしも白金校地に出校すべき日に,たまたま研究室で行うべき作業が重なるとすれば,一旦,戸塚校地にまで出向かざるをえない。そのときに更にパソコンが必要であるならば,それを抱えて戸塚校地の研究室に徒歩で歩いて運び,それを置いた後で,今度は白金校地に向い授業をし,それが終了するや否や,戸塚校地に戻るということになる。
白金校地で授業がある日には,終了し整理が終わると大体7時半を過ぎ,品川駅につくと8時をまわっている。この日は朝食・昼食もとる時間などないことがしばしばであるから,夕飯ぐらいはとらなければならない。そこで食事をして戸塚に戻る頃には9時を過ぎる。守衛に無理を言って,多少延長してということもやろうと思ってできないことはない。実際,最初の頃にはそのようにしていた。しかし,やがて,体力的に無理があるということがわかった。従って,白金校地で授業がある日には一日コンピュータの作業は無理であるということを前提で授業準備をすることにした。
また,あるとき,期末試験採点をするために土日を費やそうと思い,解答用紙1000枚ほどを持って研究室に赴いたことがあった。そのときも,校門の守衛所のところで,守衛に何時に研究室を出るのかとしつこく訊かれ,「進み具合による」と説明した。すると,「そんな人は今までで初めてだ」と嫌味を言われた。研究・教育の環境が整わないために苦労している人間に対して,研究・教育と何の関係もない人間が嘲る。何という馬鹿げたことだろう。
もはや「研究室」というのは研究する場所ではないと悟った。
このことが更に実感されるに至ったのは,2002年度に一般教育部が解体され,私が文学部に異動になってからであった。大学の主要な会議の殆どは,研究室のある戸塚校地ではなく,白金校地で開催される。その一方,研究室は両校地のうちのいずれか一箇所にしかもつことは許されておらず,また,全学共通科目を担当していれば,実に多くの教材を作成し,保管し,運搬する必要があるために,当然,戸塚校地におく必要がある。白金校地に出校となると,一日がかりである。この日に無理矢理研究室に足を運ぶにしても,まとまったことは何一つできない。
また,授業用のプリントを作成しようにも,印刷室は午後5時で閉室となる。休日は開室されないため作業ができない。それでも,場合によっては2000枚分の印刷が必要になる。自腹でコピーという訳にもいかない。必要な作業は自宅でやり,研究室を使用できるわずかの時間の中で,許された範囲のことを最大限にやるしかない。
かてて加えて,この年度から,情報センター長補佐という役職を頂くこととなった。このため,その会議に参加するために白金校地への出校が増えた。こうして,月〜水曜の3日間連続で白金校地に出校することとなった。また,続く木曜は戸塚校地にて午後の講義3コマを連続で行い,それが終って研究室に戻ることができるのが6時半,それから毎回授業に書かせる感想文の全てに目を通して,この日は終わる。従って,月〜木曜の4日連続で,研究室を使うことができなくなった。
自ずから,自宅で研究できる方向を見いださざるをえなくなっていった。
(以上,2004年当サイト開設時の状態に復元。但し,リンク等については適宜修正を施した。)
第2の理由(居住環境における)
私が本学への誘いを受けたのは,2001年1月末であったが,それを喜ぶのも束の間,現実的な問題を克服せねばならなかった。一番大きな問題は,どこに移り住めばよいかということであった。
実は,私は,前年の11月25日に挙式をし,その後,公務員宿舎に家内と共に住むことになったため,挙式と移転のための出資によって,貯蓄は殆どゼロであった。それからまた移転となると,そのための費用と入居契約のための費用とが必要となる。それは実家から借りることにした。だが,具体的に何処に住むべきなのか。
2月半ばの3連休を利用して,横浜近辺の不動産会社をあたってみたが,この頃,前の大学における公務に追われ,殆ど睡眠時間がとれなかった時期でもあり,この連休において場所を決めるしかなかった。
先ず,契約手数料半月分を謳うA不動産横浜店に行った。随分と親切に物件を紹介してもらった。しかし,時期を逸してしまっていて,条件の整った物件は殆どなくなっていた。そこで考えを改め,いっそのこと大学近辺にと思い,戸塚店に行ってみることにした。その時点で,3件の物件しか残っていなかった。このうち1件は大学からも駅からもかなり離れた場所にあり,またもう1件は道路沿いのため空気が悪いということで,消去法によって残った物件に賭けることにした。
ところが,この物件は,場所としては大学から歩いて7〜8分ほどのところにあるものの,建設中であって,完成は3月20日頃になるということであった。だが,いち早く新たな土地に慣れ,また4月からの授業の準備を整えるためにも是非ともその時期に入居したいと思っていた私には,不安がないわけではなかったとはいえ,これ以上に選択肢はなかった。仮契約をした。
確かに,この日から入居予定日まで1ヶ月はあった。それでありながら,この間,A不動産戸塚店は,何もしなかったと言ってよい。我々のほうからは,電話やFAXでさまざまな問い合わせをした。部屋の見取り図,電話・電気・TVの配線図から始まって,通信環境や,付近施設についてなど,仲介業者であるならば当然知らせる義務のあるものばかりであったが,それら全てをこちらから問い合わせた。しかも,その殆どは正確な返答ではなく,いい加減であった。しまいには,建設・管理をやっているK管理会社に直接問い合わせてくれと言い出し,完成予定日に関しても,これら2者の間で言うことが食い違っているなど,出鱈目であった。
結局,入居可能日は遅れに遅れて3月28日となり,この間,内部を見せることができないということであったので,この28日に出向き確認した。仮契約した部屋は,全くもって不合理な構造であって,別な部屋に変えてもらうよう要請した。ところが,事務所に戻り,見せてもらった部屋を契約しようとすると,実は,その部屋は既に契約済みだという。それでは契約できないのではないかと聞くと,同じ型の部屋が他の階にもあるから大丈夫だと言うのである。私は耳を疑った。保証人として一緒に来ていた私の父も,この言葉に対して怒りを露にしていた,「あんたは常識というものを知っているのか」と。
とにかくこの日部屋を決めたが,今度は契約書を作り直す必要があるため,契約は明日でなければできないと言い出す始末であった。従って,30日に契約することになった。つまりはこういうことである。2月半ばから3月の契約日まで,A不動産戸塚店は,客に対して,他の物件を紹介し直すなどせず,その間,物件を内見させることもしないまま,自分らの勝手に決めた規約をただただ客に強要するということをしただけのことである。しかも,2月に仮契約したときに同不動産会社から斡旋してもらったはずの運送業者は,優先して日にちを空けるということであったはずでありながら,「この時期は忙しいから」と断られ,大急ぎで他の業者を探しまくり,30日当日のみということで契約するという始末だった。
誠意は何一つ見られなかった。もしも彼らにほんの少しでも誠意があったとするならば,彼らがしたことによって,如何なることが結果されるか想像できたであろう。そして,当然,そのようにして惹き起こされた結果に対して責任をとったであろう。ところが,今に至るまで,謝罪の言葉すらない。
3月30日に入居契約するということ。このことの意味が今この時点でわからない者があれば,その人間の社会的感覚は十分に疑われてしかるべきであろう。つまり,新住所はこのときに決まり,これに伴って,一切の書類を書き換えなければならないということになる。だが,この日は金曜日である。翌日・翌々日は土日であり,公共業務はストップする。必然的に,一切の契約は翌月に持ち越されてしまうということなのである。
4月2日月曜日は新任研修の日であった。その日,当然,再び書き直さねばならなくなることが必然であった書類を書かされる羽目に陥った。特に,銀行が開設できなかったため,給与振込先などで後に不都合が生じたことは言うまでもない。この日以降の大学の諸手続きは,日に日に私の不快さを募らせるものでしかなかった。
しかし,そのような情緒的な問題だけではない。実害も被った。電話移転手続きに関しては,締め日を過ぎたばかりであるため,4月分の一切に割引サービスが適用されないことになった。この割引サービスが受けられないということによって,通信関係の費用は多額の実費を支払わねばならない羽目に陥った。事実,この月の電話料金の支払いは,万単位であった。また,我々のような職種の人間の引越しというのは,引越しといっても,ポンと荷物を移動させれば済むようなものではない。文献をどのように配するのかということが常に悩みの種である。たった一日で荷造りから荷物の運搬までをしなければならない羽目に陥ったために,考える余裕もなかった。最初,研究室と自宅とに分けて,と考えたが,自宅のスペースがないことがわかり,その後,移し直した。この費用も結構かかった。そして,このこと自体が再び徒労となったことは,前項に述べた通りである。
結局,この移転で,契約金なども含め,百五十万ほどかかっている(これが前項において「特殊な状況」と述べたことの内実である)。退職金と補助金とをもらってみたものの,全然足りず,実家と祖母とから合わせて百万を借りることとなった。その後しばらくこの額が返済できなかったということは言うまでもない。このうち半額は,A不動産会社のあの酷い対応さえなければ,支出せずに済んだ額であろう。仲介業者として弁えるべき前提と筋道を無視してかかる彼らを放置してよいものなのであろうか(聞くところによると,本学においては,学生に対してアパート斡旋を行う業者として紹介しているらしいが,もしそれが本当であるとするならば,私には常軌を逸しているように思われる)。
さて,以上は移転そのものにおける異常事態であった。異常は更に続く。
こうした艱難を経て住むこととなったマンションは,実は,非常に中途半端な位置にある。そこから駅に出るには団地を循環するバスを利用することになるが,それは一時間に3本であり,乗り遅れると20分待たされることになる。そればかりではなく,終バスの時刻が平日で10時ちょと過ぎ,休日ともなると9時半である。学会などが週末にある場合には,確実に終バスはない。そのようなときにはタクシーを利用する以外ないのである。
新たな地に住むようになって最初の週であったと記憶している。都内に何らかの用向きで出た帰り,戸塚に着いたとき,いつもの如く既に終バスはなかった。日帰りでもあり相当に疲れていた。タクシーに乗った。
私は自らのマンションの位置を運転手に説明し始めたが,その運転手はいたく横柄な態度であり,その話の腰を折って,「どっちのほうなんだ。自分の住んでるところくらいちゃんと勉強しろ。」と言い出した。私は,「客に喧嘩を売るんでしたら,他のタクシーに乗りますので,降ろしてください。」と言った。運転手は急ブレーキをかけながら道路わきに止まり,「はいお金払ってください。」と,手を差し出した。「いい加減にして頂けませんか」と言うと,「あんたが止めろっていうから止めたんだよ。だいたい自分の住んでるところもわからないんていうのがおかしいんだよ。」と言いながら,また発進し始め,結局,マンション近くまで行った。
つまり,この運転手は私のした説明ではっきりと位置がわかりながら,単なるいやがらせをする為だけに,説明がなっていないと言っていたわけである。その運転手は目的地に向かう途中,ずっと私に嫌味を言いつづけていた。私はこの人は頭がおかしいのだと思った。余計なことに巻き込まれるのもいやだったので,降りるときに,「私も昨日ここに来たばかりで何も知らず,申し訳ありませんでした。」と丁寧に謝りながら料金を払った。それを聞いたとたん,運転手の顔から血の気が退いたように見えた。急に態度を改め,「どうもありがとうございました。」と丁寧に礼を述べ,去っていった。
戸塚はタクシーの利用者が多いが,逆に言えば,それだけに常軌を逸した運転手が紛れ込んでいる。同僚の教員の中にも,数千円単位を誤魔化されたという体験をした方がおられたようである。私はこの後,倒れる限界まで疲労しているのでもない限り,どれほど遅くなっても歩いて帰宅することにした。不愉快さのために,ただでさえ少ない睡眠時間を不眠によって奪われるよりは遥によいだろうと考えたからだ。
住環境については,更に悪条件が重なった。周辺には店がない。郵便ポストすらない。何かある度に,バスで駅まで出なければならなかった。従って,大学から歩いて7〜8分のところに住んでいながら,実際には,一旦,バスに乗って駅まで行って所用を済ませ,それからまたバスに乗って自宅に戻り,ノートパソコンを担いで大学へ歩いていくという生活を強いられることとなった。その様な日は,結局,1時間以上もかけて大学に出校することになる。実に不条理である。
遂に,2002年7月30日,1年4ヶ月の間住んだ賃貸マンションを引き払い,もっと生活の便のよい駅近くの賃貸物件に移ることとなった。
この物件は確かに前の物件に比べ面積は狭くなったが,駅に近く,従って教員用バスの乗り降り場所にも近いために,その利便性をかうことにした。通気性を考え川沿いの角部屋にした上,6階であったので,少し窓を開けると夏でもクーラーの必要は全くなかったほどであった。多少の狭さを我慢すれば,快適と言ってよかった。
その位置関係からも理解される通り,表には国道1号線が走り,裏には川越しにその裏道が走っていて,丁度,車道に挟まれた形をとっている。しかも,昼間の交通は非常に激しい。しかし,真昼間から熟睡するという必要はないのであるから,多少の交通の音は慣れてくるものである。この点も不都合は生じなかった。
ところが,引っ越したばかりの週末に,これが大変な誤算を孕んでいたことが発覚した。暴走族が何十台もの自動車とバイクを連ね,マフラーを外してエンジンを吹かし,クラクションを引っ切り無しに鳴らし,大爆音を撒き散らしながら,裏の車道を通過し,駅前でターンし,表の車道を通過していくのである。しかもそれを何度も何度も繰り返す。大体,真夜中の2時から5時の間である。この騒音公害は,毎週土日は当然のこととして,平日にも何の前触れもなく訪れる。
先にも「研究環境」について述べた如く,このとき私は研究室で研究をすることを諦めていたので,文献を研究室と自宅に二分し,自宅に詰められるだけの文献を詰めて,そこで仕事をするつもりでいた。そのために,買い物等の時間の節約できる場所を選んだわけである。ところが,週の半分は真夜中の睡眠を妨害され,完全に昼夜が逆転したのみならず,連日続く睡眠不足のために,完全に体調を壊し,午前中に起き上がることができなくなっていった。加えて,品川への連日の出校は,朝食・昼食をとる時間を奪い,一日夜中の一食のみという日が続いた。遂に,胃痛が日常化し,そのためにわずかな睡眠時間をも奪われるという悪循環に陥っていった。
これに心労が加わる。「敷金返還問題」である。引き払ったはずの前の物件の敷金3ヶ月分が,一ヶ月以上待っても一向に返還されない。新たに入居した物件は,この退去物件を管理するK管理会社が管理している。つまり,前の物件の敷金が返還されないということは,今回の物件における敷金をもまた,返還されないことを意味する。双方合わせて70万円以上になる。
徹底抗戦を挑んだ。
この戦いは1年以上に及んだ。その間,民法・刑法・住宅金融公庫法等々の法律,あるいはまた,小額訴訟・本人訴訟等々の訴訟の仕方,内容証明郵便等々の書類の書き方など,様々な社会勉強をした。手続きの上では万全を期した。一度,神奈川県民センターの法律相談センターに行き用意した書類を見せながら弁護士に相談したところ,その弁護士は,驚いて目を丸くしながら,「これだけの用意があれば,貴方一人で訴訟を起こしても完全に勝てる」と助言し,勇気付けて下さった。有難いことだった。
ただ,具体的な交渉をするのは,この新たに入居した物件を退去するときに定めた。それは,K管理会社が同様の違法行為を重ね,当該の違法行為に常習性があったという証拠を固め,もってK管理会社の可能な限りの逃げ道を防ぐことを意味していた。
従って,入居すると同時に新居を探さねばならなくなった。賃貸物件,中古物件,分譲物件の様々な可能性,また,それぞれについて,起こるべき可能な限りの問題について調べる必要があった。建設方法,土地用途,環境,管理体制,その他諸々の諸条件についての専門書を読んだ。また,中古・分譲に関しては,税金・ローンを初めとした経済の勉強をした。様々な地域の数々のモデルルームを家内と共に巡り歩いた。その時現在知りうる限りの知識の上に立って条件を定め,その条件に適わない限り,購入までは踏み切れなかった。だから,半ば公団の賃貸に移り住むことを本気になって検討し始めていた。
ところが,その条件に見合う物件が唯一つ存在した。即座に購入することにした。その手続きは,普通の人間であれば生涯に一度あるかないかの行事である。その間においても,入居後に考えられる様々な問題について調べられるだけ調べた。そして,入居日1週間前から荷造りを始めた。勿論,この間,大学における講義・会議・委員会等々は,普段と全く変わりなくこなした。
運搬作業については,幾つかの業者に見積りをとり,結局,A会社に頼むことにした。引越しの日程が定まると同時に,事前見積りをするために来た係に,当日の作業員の人数を減らして費用を削減してほしいと申し出た。担当者側は,人数を減らすと一日で終わらない可能性があると心配していた。しかし,私は,全て計算済みなので大丈夫だ,と撥ね付けた。当日,搬送から搬入までにかかった時間は,わずか4時間であった。我々もこのスピードには驚いたが,それ以上に,我々の側の手際のよさに,「こんなお客さん初めてだ」と,作業員の方が驚いていた。
これと並行して,旧物件の明け渡しをするに先立って,デジタルカメラを購入し,新物件の入居日からの5日間に渡って,旧物件を清掃・補修すると共に,全室のあらゆる箇所について,およそ200枚以上の写真を撮り,状況証拠を残した。
明け渡しのときには,K管理会社の社員3名が来訪した。その一方,明け渡す側は,私と家内のたった2人である。一般人の感覚であれば,「専門業者」が自分たちよりも多く来れば,勝ち目はないと思うであろう。しかし,私の専門としている「哲学」という分野は,「ありとあらゆる専門的知に先立つ根源的知」について扱っている。学会においても,たった一人の学説に対し,ありとあらゆる専門研究家がそれを審議する。「形而上学」に比べるならば,規約的に定められた「法律」などというのは,穴だらけの屁理屈に見える。逆に,哲学的訓練を受けていれば,どのようにして「法の目」を掻い潜ろうとしているのかも,いとも簡単に見透かすことができる3。
その責任者を名乗っておられたのはY氏,その場で,「敷金」清算のことについて議論となった。その後,このY氏とは電話で何回かやりとりし,その後話し合いの場をもつことにした。
その場に参席するにあたって,私は,準備していた小論「敷金返還問題に対する意向」(400字詰原稿用紙に換算して約80枚分)を持参した。その添付資料を用いながら,今回の件が,どうして不法行為にあたるのかを説明した。Y氏側は,この話し合いの場の最初に,全額を返済するという約束をし,それを前提の上でお話を伺いたいと述べた。私も,Y氏にお会いしたときに,この方が,社会的立場を超えて,人間として話ができる方だと思っていた。だから,これは私が今回調べてみた限りの結果であって,その是非については,お帰りになってから顧問弁護士等に確認をして頂きたいと念を押して説明を始めた。
「民法」から話を進め,これを根拠として,どの様に「賃貸住宅標準契約書」が書かれ,それと照らし合わせて,K管理会社が取り交わしている「契約書」の各条項がどのように解釈されなければならないのかを演繹してみせた。現行法が正常に機能しているとすれば,本来的には賃借者の側が圧倒的有利な立場にある。ところが,その法律を誇大に解釈し,賃借者と賃貸者の関係を故意に逆転させることによって,現在の「敷金返還訴訟」は全国で起こっている訳である。
詳細を省くが,この演繹が妥当であるとすれば,本件に関わった人間の全ては,最低でも,各々が30万円の罰金を支払うこととなり,万一,情状が重い場合には,懲役刑を受けることとなる可能性が高い。更に,公庫の借入金を一括で全額返済することとなる。刑罰を受けた人間に新たに融資をする民間金融はないであろう。当然,億単位で負債を抱えることになる。場合によっては,倒産もありうる。
Y氏はこれに対し,一々納得した様子だった。私は用意した小論と資料の全てを彼に渡し,自分の携わっている哲学という分野では,真理・真実こそが問題となる。だから,今回も,勝ち負けの問題ではなく,「公平」であるかどうかを問題にしているのだということ重ねて述べた。「社会的公平性」を保つためには,「法」を遵守しなけばならない。そのためには,ときとして「悪法」にも従わなければならないことがある。もしも,それが「悪法」であるならば,それを改正することに向けて,共に協力し合っていくべきだ,と。加えて,「ソクラテスの死」の話をした。Y氏の目には涙が浮かんでいた。
数日後,Y氏から電話連絡が入り,前回の話し合いにおける一切を社長に伝え,また,顧問弁護士に相談した結果,先生のおっしゃる通りであり,改めてお詫びしたいとおっしゃっておられた。そして,社内業務の徹底的な見直しをはかり,企業としての努力をしていきたいとのことであった。
かくして,この「敷金返還問題」は,愛も憎しみも無く,全額返済という形で和解することとなったのであった。
こうして,これまでの長かった賃貸生活における一つの節目を向え,現在,分譲マンションに住んでいる。「風致地区」で「第1種低層住居専用地域」に立つ低層集合住宅であり,私の部屋のリビングからは,市の管理する「都市緑化植物園」が一望できる。また,湘南海岸や江ノ島までは,徒歩で往復できる距離にある。躯体に関しては,「内覧会」の際に,第三者機関に立ち会って頂き,不具合箇所を調べ徹底して修理させた4。
しかし,ここに新たな問題が浮上した。それは居住環境の「精神的」条件とも言える。いわゆる「マンション管理」における問題である。このことは覚悟していた。そして,校務との兼ね合いを考え,気後れすることがなければ,私が「理事長」をやるべきであった。そして,私は今,立候補しなかったことを後悔している。何故ならば,現時点において,「管理組合」も「理事会」も十分には機能しておらず,このため,「管理費」における無駄な(恐らくは,年間数百万単位もの)出費が嵩んでいることを許しているからである5。
私の調べた限りにおいて,分譲マンションにおける「マンション管理問題」に関しては,既述の賃貸マンションにおける「敷金返還問題」以上に不法行為が野放し状態になっているのである。これは,私の居住する物件のみに固有の問題ではない。まさに現代日本の抱える主たる住宅問題のうちの一つなのである6。
「うちのマンションはきちんとした管理会社に任せてあるから大丈夫だ」などと言っているのであれば,「気は確かか」と言われても仕方がない。「マンション管理適正化法」によって,「管理会社」の業務は制限されているため,管理業務の一部が委託されることはあるが,その業務の全てが委託されるということはない。
「区分所有法」によって定められたところによるならば,「区分所有者」(管理組合員)は,自ら積極的にマンション管理に関わることが義務付けられており,その自覚がないというのは単に無知のなせる業である。「隣近所との付き合いが面倒だからマンションを選んだ」という住人が多いが,法律によるならば,「共同で管理・運営しなければならない」上に,ありとあらゆることが法律によって雁字搦めになっているのである。法律や設備に関する技術等について熟知し,その上で,違法性のあることに対しては,徹底して質していくことが必要となってくる7。
しかしそれでも,現在,私はこれまでの人生の中で,居住環境の「物理的」条件としては,全く不安のない状態にある。逆に,このために出校にかかる時間を犠牲にした。戸塚校地に出るにせよ,白金校地に出るにせよ,最低でも1時間半はみなければならない。これも,前項において述べた通り,研究室における環境について諦めた,その結果である。だから,自宅を研究の拠点とすることにした。
とは言っても,一部屋は文献の置き場として塞がる。ある程度の広さを求めるとすれば,リビングで作業するしかない。一人研究室に閉じこもって研究するに比べ,集中力は半分以下に落ちる。それを覚悟するしかない。また,外出の用向きがある場合には,移動先においては何もできない。それも覚悟するしかない。
ありとあらゆる手を尽くして後の決断である。
実は,上記の「物理的」条件には,但し書きを付さねばならない。それは,「近隣重機置場」における騒音問題である。
「風致地区」で「第1種低層住居専用地域」というのは,住環境では最も規制が厳しく,高い建物を立てることに著しい制限が加えられる上,元々生えている樹木の伐採に関してもかなりの条件が付される地域である。少なくとも,これから先にあっても,周りに突然別な建物が立ち,見晴らしをさえぎる等の環境悪化はありえない。ただ,入居して数ヶ月の間は,周辺道路の配管整備等の作業騒音が断続的にあり,それは期限付きであったので已む無い騒音であると思っていた。
ところが,近隣の作業騒音が一向に止むことはなかった。その騒音源を確認したところ,近隣敷地が,ある建設会社の「重機置場」になっており,そこに砂利やコンクリート片の山が盛られサーベル車等を使った作業がなされていた。更には,金属を研磨するような騒音が発されていた。ときとして,その騒音と振動によって,朝目覚めることさえあり,また,真夏の日中であっても,風を入れるためにリヴィングの窓を開けることができないほどであった。
その敷地に掲げられているプレートによるならば,「重機回送のトレーラーが出入りし,深夜・早朝時の積み降ろし作業に伴う騒音には注意する」と書かれているものの,その敷地内において「建築作業騒音」をたてる旨は,どこにも書かれていない。
不審に思い,市の「環境保全課」に当該重機置場の「土地用途」と「騒音基準値」について,問い合わせた。すると,「当該敷地は,風致地区内に指定されているため,特定作業騒音(重機使用に伴う工事現場で発される騒音)は許されておらず,騒音基準値は日中であったとしても50デシベル以下となっている」との回答であった。余りに現状が異なっているため,作業騒音が著しい時間帯に職員に来て確認して頂いたところ,「明らかな違法で,口頭で指導した」とのことであった。
しかし,その後も改善される様子はなく,その度に「環境保全課」に連絡し,指導をお願いすることとなった。余りに改善がないので,再度,「土地用途」について尋ねたところ,実は,「建築指導課」の方で調査して頂いているとのことであった。何でも,当該重機置場に「作業小屋」のようなものが設置されているが,それが建築基準法に違反するかもしれないというのだ。それで,今度は直接「建築指導課」に詳細を尋ねてみると,当該重機置場として用いられている敷地は,登記簿上の「地目」が「畑」になっているという。しかし,現状は「重機置場」として用いられているということは明らかなのであるから,これには法的問題はないのかと尋ねると,その件については「農業委員会」に問い合わせてほしいとのことであった。
早速「農業委員会」に電話で問い合わせたところ,当該敷地の登記簿上の地番を正確がわからなければ調べられないということに加え,直接,窓口に来て確認してほしいとのことであったので,その週に確認しに赴いた。すると,やはり「地目」は「畑」となっており,「農地転用届け」は提出されていないということであった。
元々「農地」であった土地を農地以外の使用に供することを「農地転用」というが,当該重機置場の現況は,明らかな違法である。この「農地違反転用」に対して,市としてはどのように対処するのかとその場で質問したところ,「特に罰則などはない」との返答であった。これはおかしい。というのも,「農業法」によれば,第83条の2には「農地違反転用」の場合には「原状回復」の命令がなされる場合があること,また,同法92条及び93条には「3年以下の懲役や300万円以下の罰金が課される」旨が記されている。この件について農林水産省に直接問い合わせたところ,上記の条項が適用外になる県はないとの回答であった。
実は,「農地違反転用」は,税法上,問題が生ずる。「農地」と「それ以外の土地」とでは「固定資産税」が異なるために,「脱税」の温床となり易いからである。更に,「農地転用」は,その手続きは難しいものではないものの,それが承認されるためには,それ相応の理由がなければならず簡単にはいかない。ところが,「農地違反転用」が野放しとなっているのであるから,当然,この税法上の違反も放置されているわけである。これについては,市の「資産税課」に通告済みである。
この様に,当該「重機置場」となっている敷地は,実は,少なくとも,「騒音規制法」・「農業法」に対する違反があり,税法上の問題をもっている可能性のあるということが明らかとなってきた。敷地の奥に設置された小屋は最近になって取り壊された。
市に対して何度か指導の要請を出したこともあってか,最近では,「作業騒音」とあからさまにわかるような騒音はたてなくなってきた。しかし,市に対して,先方の建築会社は「これまでそんな苦情はなかった」という言い訳をしてきたという。裏を返せば,これまでずっと違法行為を続けてきたということを自白したも同然である。たまたまうっかりして法律を守らなかったというのではない。こういう場合,大抵,一部が全部である。この様な企業は,調べれば調べるだけ,更に許されざる不法行為を働いていると考えてよい。
今のところ静かにする素振りを見せてはいるが,このまま放っておけば,やがてまた我が物顔で同様の騒音をたて続けることは想像に難くない。騒音の問題のみならず,この違法な土地使用をやめさせなければ,将来的には,その前を通行するマンション住人が大型トレーラーの車輪に巻き込まれる等の事故も生じかねない。そうなれば,近隣に危険箇所があるということになり,マンション自体の資産価値を引き下げる要因の一つとなりかねない。
【追記】数年後,突然その土地の整備が始まり,一気に低層マンションが建設された。これにより騒音の心配がなくなったどころか,以前に比べて治安も遥かによくなった。やはり県知事にまで改善要望書を出しておいてよかったと思う。
(以上,2004年当サイト開設時の状態に復元。但し,リンク等については適宜修正を施した。)
第3の理由(学術界の現状より)
赴任して最初の年に起こった問題は,「研究室」と「住環境」のみではなかった。研究者としては耐え難い幾つかの事件が,まさに「学術」という場において起こった。
その第一のものは,拙書『デカルトにおける〈比例〉思想の研究』(哲学書房,2002年)の出版に纏わるものである。この書は,1999年1月に博士(文学)学位が授与された博士学位請求論文に訂正・加筆を施し,「日本学術振興会平成13年度科学研究費補助金(研究成果公開促進費)学術図書」の交付を受けて出版の運びとなった。
このように記すと,大層立派なものであるように聞こえる。
しかし,この補助金を受けるということは,その瞬間から,著者は「補助事業者」になる,ということなのである。この「補助事業者」には,刊行計画,校閲計画,進行状況等を常に把握しておく義務が生ずる。原稿を出版社に預ければ自動的に仕上がるものではないのである。言い方を換えるならば,例えば,何らかの都合によりこの出版が中止となった場合,補助金の全額を返還しなければならない。この場合,この出版が上手く行こうと行くまいと,当の出版社及び印刷会社には責任はなく,専らその責任は「補助事業者」が負うことになるのである。勿論,出版社及び印刷会社に対する損害賠償の問題も出てこよう。
如何せん,生まれて初めての出版である。右も左もわからない状態で始めることとなった。当然,刊行までの計画について,出版社側からの詳細な説明があると思っていた。ところが,実際には,出版社の側からは「完成した原稿を頂きたい」という一言のみであった。どのように割付をするのか,文字のポイント数をどうするのか,図版をどのように入れるのか,引用に関してはどこまで原語を入れるのか,ギリシア文字についてはどうするのか,索引は入れるのか入れないのか,このような事柄について,一切の説明はなかった。
こうして,初校が送られてきたとき,唖然とした。部分ごとに文字のポイント数が揃っておらず,ギリシア語の字体は全く考慮されず,本文と引用との間隔もまちまちであり,原語は至るところ文字化けをしたままであった。こうして,本来,出版社・印刷会社がやるべき仕事を,たった一人でやらざるをえなかった。しかも,それを授業と校務の間を縫って,その時間を含めて1週間で返さなければならない。そうして戻ってきたときには,校正時に全く指示していない箇所に,全く意味不明な文字が挿入されていた。文字化けした箇所も,全く指示通りに修正されてはいなかった。
私がやったこと,それは,500頁に及ぶ書物において,印刷所が無責任に犯した誤りを見つけるという作業であった。まともに「校正」などできなかった。こうして刊行予定日は近づく一方である。さすがに,印刷所宛に要望書を出し,このままこの債務不履行を続けるのであれば,法的手段に訴えるも已む無いことを伝えた。これにはさすがの印刷所も驚いたようであり,翌日には返事の手紙がきた。出版社側も,とにかく刊行できるよう,全力を挙げて取り組みたいと言ってきた。しかし,実際には,全く同じことが繰り返され,これは念校段階においても続き,いよいよ印刷にかけるという直前,私は印刷所まで出張校正に赴く羽目に陥った。その場においても,まだ誤りが発見された。
この「間違い探し」は,誤字・脱字の修正とは,一切関係がなかった。私が知る限りで,誤字・脱字の箇所は,31箇所あり,更に,文献表にある外国語の特殊文字を加えるならば,更に増えるであろう。出版社側の言うことは,「誤字・脱字のない書物はない」ということであった。そのことと,「誤字・脱字を修正する時間が与えられなかった」ということは,全く別の事柄であろう。
この刊行事業の対象となる刊行物は,2002年2月28日までに発行されるべきことが定められている。
2月といえば,私学では入学試験業務と期末試験採点業務に追われる。私のような全学共通科目の哲学・論理学を担当していれば,期末試験は1000枚ほどの採点をしなければならない。また,「第1の理由」に述べたことの繰り返しとなるが,そんな中でも,せめて期末評価を期限までに出そうとして努力しようと休日出校し,与えられたはずの「研究室」に行こうとすれば,守衛に嘲られる。
こうした激務の間を縫って,500頁の書物の中にある「間違い探し」をやっていた。体力的に限界である中で目を酷使したために,最後は,文字を目に入れると痛みを覚え,騙し騙し作業を続けるしかなかった。
もう「学術」のための出版ができる条件は,自らに与えられてはいないのだと悟った。仕上がったものがどのように評価されようとも,もう二度と出版などするまいと誓った。
その第二は,この不愉快な校正に携わった時期に起った。
その頃,私は「日本音楽学会」の正会員であったが,ある先生に推薦され,その会誌『音楽学』に「書評」を掲載することになっていた。私は,その対象図書として,Brigitte Van Wymeersch, Descartes et l’évolution de l’esthétique musicale (Mardaga, 1999) を選び,規定の40字×100行という字数の制限内に収まるように執筆し,11月末の締切に間に合わせるべく送付した。
編集委員会からの文書では,「書評・紹介の対象とされる刊行物は,ご専門の範囲から広く学会員に知らせる価値があると判断されるもの,新刊書で読みたいと思われていたもの,研究方法や内容において反論を要するものなど,ご自分の関心を中心に選んで頂いて結構です。」(下線引用者)とのことであったので,予てからその方法論,推論,結論に問題があると思っていた上記の図書を取り上げ,関心のある読者にその是非を問いたいと思った訳である。
翌年の1月,即ち,拙書の校正が大詰めを迎えていた頃,「査読」の結果と称する報告書が届いた。「個別的な点につき,改善の余地があるように見受けられ」るので,検討してほしいというものであった。学会誌の査読結果によくある「言い回し」である。ところが,その具体的な指摘の数々に目を通すと,殆どがまるで揚げ足取りの様な内容なのである。
上記の制限字数において記した「書評」に対し,私が問題であると思って取り上げた点全てに対し,その批判理由を具体的に示せ,というのである。即ち,上記の枚数において,「小論」並みの詳述をせよとの要求である。これが音楽学で名の通った大先生であれば,この内容で十分であったはずである。私は特別に名前が知られている訳ではないから,自分らの派閥に属さないどこかの院生として軽くあしらったつもりだったのであろう。
ところが,この著作は「デカルト研究」として書かれている以上,素人であったのは,むしろ「査読者」側である。それどころか,彼らは,一般に知られているデカルト研究の内容さえ知らないにも拘らず,「素人のお前に何がわかる」といった態度を露骨に示してきたのである。
その内容について,その一々をここに記すのは辞めよう。私がどんなに真面目に議論しようとしても,水掛け論に終始するということはわかりきっている。何故ならば,彼らは「デカルト研究」などには全く興味はないであろうし,そればかりか,当該対象図書をまともに精読していないのだから。それを読まずに,「お前が言っていることはわからない」と評しているのである。最初から話にならない。
実を言えば,私が日本の「音楽学」という分野に絶望したのは,それに携わる人間が全く「哲学」・「形而上学」を理解できる能力をもっていないということにある。
例えば,哲学論文においては,ある特別な概念や文がある場合,当該の概念や文を括弧で括る。その際,その括弧が何重にもならざるをえないこともある。その度毎に,「 」・『 』・〈 〉・《 》等々と書き換えていくならば,却って面倒なことになる。換言すれば,「メタ言語」と「対象言語」が,一旦,「 」で区別されるということが了解されてしまえば,後は,この規則を繰り返して使用すれば,それで事足りるからである。「「 」...」となる部分を「『 』...」と記さねばならない,などという馬鹿げた規則を持ち出してくることはない。それは「正しい日本語」の記し方ではないかも知れないが,「正しい思考」の正確な表現には変わりない。その「正しい日本語」では,「「「「私は存在する」と彼が意識している」ことを彼が記している」と彼が言っている」等々を,どうやって正確に表現できると言うのであろうか。人間の正常な思考では,この言述の階層分けは,可算無限回だけ続けられうるというのに。ところが,「「 」...」となる部分を「『 』...」と書き改めよ,それが一般的だ,というのである。
勿論,査読結果が不服であれば,訂正せずにそのまま提出すればそれでよかったに違いない。しかし,学会の体質を質す意味も込め,「査読の異議申し立て」を記し送付した。
これに対する回答は,想像通り,難癖に近かった。例えば,上記の括弧の件については,ご丁寧に小学生の用いる国語の教科書に書かれている内容を記し,これが学会の「書式の原則」に明記されているのだと言い訳していることには,開いた口が塞がらなかった。この人たちは,普段,研究者として学術的な抽象的概念を扱うにあたって,小学生が国語で身に付けるべき論理の階層構造を用いればそれで十分であると思っているのであろうか。もしかすると,大学の教養課程において学ぶべき「論理学」の基礎知識すらももっていないのかも知れない。
また,執拗に査読者側が責め立てた「対象図書の先行研究における位置付けを明確にしてほしい」という点に関しても,それが「欠けている」と判断したのであれば,具体的にその先行研究を示し,「例えば,この先行研究との関係はどの様になっているのか」と問うべきであろう。その具体的な問いは一切なかった。査読者側が,「専門研究者」を自称しながらも,そのことについて自らが無知であるからである。そもそも,当の著者自身が,先行研究と自らの著作との関係を明らかにしていない。少なくとも,著者は自著の内容を,全く新奇なものとして自負しているであろう。しかし,「全く新奇な」ことであれば,いくらでも言える。デカルトの『音楽提要 Compendium musicae 』について扱った「研究書」は皆無に等しいからである。
拙書にも記した通り,André Pirro の Descartes et la Musique (1907年)以来,むしろ,この Pirro が記した内容が鸚鵡返しに繰り返されてきたと言える。これは,「音楽学」という領域の研究者の怠慢にこそ帰せられるべき醜態であろう。まともな先行研究がありさえすれば,拙書に記された「音楽学」領域の内容は,半分以下で済んでいたはずである。当該対象図書が世に出ることにより,そしてまた,それを妄信する愚かな研究者モドキがいる限り,デカルトの音楽理論は再び混沌の中に投げ入れられることであろう。今回音楽学研究者らは二重に罪を犯したのである。
私が「査読の異議申し立て」の中で,学会に対して逆に質問した大きな問題がある。それは,「音楽学が,仮にも学問であるというのであれば,一体,それは如何なる原理に基づいているのか」という問いである。しかし,この最も重要な問いは,予想通り,はぐらかされる結果に終わった。仮に,これに対する真面目な回答があったにせよ,「音楽学の定義は,研究者の数だけある」といった類の詭弁が返ってくるだけだったであろう。もしもこの様に返ってきた場合,私は,「原理が存在しないことを自白していることになる」と切り替えしたであろう。従って,彼らが上記の問いに答えなかったことは,ただひたすらに狡知のなせる業である。
既に私は,「音楽学」に携わる人間が全く「哲学」・「形而上学」を理解できる能力をもっていない,と述べた。このことを象徴するのは,奇しくも拙書が出版される前年に上梓されたヨハンネス・デ・グロケイオ著『音楽論』の訳書である。
実は,私もこの『音楽論』の訳書が出版されることを知ったとき,中世音楽理論において重要なこの著作が日本語で読めるようになることを喜んだ。また,その共訳・註解者として名を連ねる人々が日本の中世音楽研究の重鎮であるだけに,相当の期待もした。この様な理論書を必要とするのは,中世音楽理論についてある程度の知識をもっている人間であろう。その様な人間は,多少なりともラテン語を読むことはできる。つまり,「訳文」そのものはそれ程価値がある訳ではない。むしろ,このグロケイオの音楽書に彼独自の思想が現れているとするならば,それに対する注釈こそ重要なのである。
ところが,訳者らにとって,この著作の真価はこの訳注の作業が始められる前から決まっていたのであろう。グロケイオの思想などどうでもよかったのである。その帯にも「アリストテレス哲学に依拠する経験主義的な視点から中世世俗音楽の実像に迫った初めての音楽論」であると記されている通り,グロケイオの思想は「アリストテレス主義的経験論」であるのだ。現に,「訳者序文」には,次の通りに明記されている。
「こうした中世の音楽理論家たちの中にあって,グロケイオの態度はきわめて異色と言える。彼は,従来の理論家たちのように音楽のあるべき姿を追求するよりも,むしろ現実に行われていた音楽をあるがままに正視しようとする姿勢を貫いている。このような彼の経験主義的な態度は,ピュタゴラス Pythagoras (前6世紀後半活躍),プラトン Platon (前 427 頃- 347),そしてボエティウス Anicius Manlius Severinus Boethius (480 頃-524 頃)の理論を規範とする従来の音楽理論家の態度とは対照的なものであり,当時のヨーロッパの知識世界に大きな影響を及ぼしはじめていたアリストテレス Aristoteles(前 384-22)の哲学に依拠するものであった。
現にグロケイオはこの著作の中でアリストテレスの方法論をしばしば引用しており,アリストテレスがグロケイオの精神的,思想的な指導者であったことをはっきりと自認しているのである。」(同訳書10〜11頁)
しかし,実際にグロケイオが「協和」を基礎付ける際に,原理として持ち出しているのはアリストテレス哲学ではなく,「神の似姿 Imago Dei」という神学的概念である。
「・・・問題は2つある。ひとつは,音においては完全なもの(協和音)が3種のみであるという点,いまひとつは,それが人間によってのみ認識されるという点である。そこで,われわれは次のように理由づけておきたい。つまり崇高なる万物の創造主は世のはじめから,音(ソヌス)では調和(アルモニア)に3つの完全性を与え給うたのである。それは,それらの中に創造主の善性を示し,それらによって主の御名が賛美されるためである。・・・3つの完全性は,栄光ある三位一体に存在するのと同様に,実体験を通してもある程度まで知ることが可能である。・・・これらの3つは同種のものとされ,もっとも完全な協和音(コンソナンツィア)を生み出すのである。ピュタゴラス派の一部の人びとは,おそらくこのことを直感していたのではあろうが,彼らの本来の傾向としてあえて上述のような言葉で表現しようとはせずに,数を用いて比喩的に語ったものと思われる。
またわれわれは,世のはじめに無から創造された人間の霊魂(アニマ)は,創造主の姿ないし似姿を保持していると言っておきたい。この似姿は,ダマスコスのイオアンネスによって三位一体の似姿と呼ばれたもので,それを通して認識力が人間の霊魂に生来備わっているのである。おそらく〔人間の霊魂は〕この生来の認識力によって音(ソヌス)における3つの完全性を把握するのであって,獣の魂はその不完全性の故に,それ(完全性を認識する力)が与えられていないのである。 」(同訳書25〜26頁)
この引用文中で,看過できないのは,「ピュタゴラス派」の一部が,「数を用いて比喩的に語った」という部分である。即ち,ピュタゴラス派が「数」そのものを協和音の原理と捉えたのに対し,グロケイオは,その「数」は,更に,神の「三位一体」を模しているのだと明言しているのだ。これは,上記「序文」に言うように,ピュタゴラス,プラトン,ボエティウスの理論を規範とする態度と対照的な「経験主義」であるどころか,「キリスト教的数秘主義」の典型的思惟枠である。このことは,続く箇所で次の様に述べていることからも窺い知れよう。
「我々は,彼らの意見に賛成する。なぜなら,プラトンやアリストテレスが言うように,人間は宇宙(ムンドゥス)に類似したものであって,それ故にミクロコスモスすなわち小宇宙(ミノル・ムンドゥス)と呼ばれるからである。したがって,人間の法や行為は,神の法をできる限り完全に模倣すべきである。しかも,この世の万物の盛衰の変化を引き起こすものは,それぞれその力をもつわずか7つの星にすぎない。それ故に,人の技芸(学芸)にも,7つの原理(プリンチピウム)を置くことが理にかなっている。その原理こそ調和する音(ソヌス)が多数あることの原因(カウザ)であり,その原因がまさしく協和音程(コンコルダンツィア)と呼ばれるものである。」(同訳書27頁)
グロケイオのこの著作にアリストテレスが出てくるにせよ,キリスト教的信念を体系化するにあたってアリストテレスの用語が援用されただけというに過ぎない。「アリストテレスがグロケイオの精神的,思想的な指導者であった」などというのは虚言以外の何ものでもない。
中世においては,「アリストテレス主義」とは言っても,決してピュタゴラスやプラトンの説に対して「敵対的」であった訳ではない。中世において,「プラトン対アリストテレス」という対立構造があったかどうかさえも疑問である。「アリストテレス主義」によって意味される内容は余りに多様であるため,少なくとも「中世思想」研究者らがこの問題について扱うときの慎重さを考えるならば,ある文献に「アリストテレス」の用語が出ているのを見ただけで「アリストテレス主義であるから経験論だ」などと断言するのは愚の骨頂である。
驚くなかれ,これが日本の「音楽学」における文献研究の方法なのである。
仮にも中世における「神学」・「形而上学」について触れられている書物でありながら,同訳書は,それらについて何も調査しなかったのみならず,その専門研究者に教えを請うということすらしなかったのであろう。もしも真面目にこの書に取り組むとすれば,中世における「神学」・「形而上学」は勿論のこと,「生理学」・「自然学」・「論理学」・「修辞学」等々の複数領域の絡み合いを解きほぐすことが必要となる。そしてその作業を経なければ,当の文献について何も理解したことにはならないと考えるのが,誠実な研究者の態度である。ところが注に目を通す限り,素人が文献学上の何の方法をももたずに唯闇雲に目に付いたことを片っ端から記していったとしか思えない杜撰さである。
このことと深く関わることであるが,実は,拙書の下敷きとなる博士学位請求論文を執筆していた頃,「美学会」の席で,同訳書に関わるお一方と話をしたことがある。
私がデカルトの『音楽提要』に取り組んでいるということを聞いて,「昔,講読会で読んだことがあって」とおっしゃるので,早速,デカルト研究において問題となっている第1章第3段の spiritus の意味について尋ねてみた。すると,その方は間髪いれず「霊」だと断言するのである。
拙書をお読みの方には既に明らかであろうが,中世における音楽用語の基礎的前提として,spiritus は,「気息」(自然学上の用語)もしくは「精気」(生理学上の用語)を意味することはあるにせよ,「霊」(神学上の用語)を意味することはない。殊に音響現象が主題化されている場合には,間違いないと言ってよい。この最も基本的な概念すらも取り違える人間を「専門研究者」と呼んでよいものであろうか。しかし,「音楽学」領域では,基本概念などどうでもよいことなのである。
私は,それまで,「学会」というのは「研究」のためにあるものであるとばかり思っていた。しかし,「音楽学会」というのは,私が考えるところの「研究」など,意味をなさない場所であるらしい。「書評」に関わる一連のやり取りの挙句,遂に,退会届を提出した。
全国の書誌情報を見回すと,ときどき拙書が「音楽学」に分類され,その書架に飾られているようであるが,非常に不愉快である。気が付かれた方は,当該図書館等に,同書を哲学・思想として分類して頂けるよう申し出て頂きたい。
第三は,拙書の書評に多少なりとも関係する。
拙書出版の翌年1月,「日仏哲学会」から,学会誌『フランス哲学・思想研究』第8号に書評を掲載する予定であるとの連絡が入った。これに対して,かつて拙論に対する一方的なしかも不当な批判が無責任に掲載されたことがあり,愛想をつかしていたので,正直なところ遠慮願いたいのだが,それでもお誘いを受けたのでそれを積極的に断る理由もないだろうから,それで構いませんと返答しておいた。
だが,私の本心からすれば,全く期待していなかった。実際,その返事の中で,次の様にも書いている。
「このような内容のものを「フランス哲学」という領域では,どのように扱われることになるのか,興味深いといえば興味深いのですが,私は,それが好意的に評価されるにせよ,否定的に批判されるにせよ,余り期待はしていません。何故ならば,それを的確に評価できるほどの人物であれば,同種の内容に関する優れた業績をとっくに残しているでしょうから。音楽学,美学,数学史,科学史等の如何なる領域においても,参考になるものは皆無でした。そうであるから,私自身は,この内容を学位論文として提出することには積極的でなかったわけです。」
この年の9月には秋季大会があったが,拙書に対する書評が雑誌に掲載されたということもあり,久しぶりに足を運んだ。「久しぶりに」というのは,その間,新任校において忙しくしていたということもあるが,それ以前に,長らくこの学会から通知が来なかったからである。
当日受付に行って驚いたのであるが,開始して大分経った頃であるにも拘らず,行列ができ,なかなか進まないのである。よく見てみると,受付係は二人いるのではあるが,受付作業をせずに話をしているのである。勿論,会員が並んでいるその目の前での話である。異様な光景であった。ようやく私の番がきた。それまで20分ほど待たされたかもしれない。そこで会費を納めて欲しいというのであるが,3年分ほど滞納になったままであり,9000円出してくれという。しかし,いきなり言われてもその用意がない。それで,「後で振込用紙を送ります」というので,念のため登録してある住所を確認したところ,3年前の住所になっている。その間,2度ほど引越しをしている。
さすがに呆れた。というのは,私は引越し慣れしているので,新たな物件に入居する一週間前には郵便局に住所変更届けを出す。従って,よほどのことがない限り,郵便物が新住所に届かないということはない。また,各学会にも,入居してすぐに住所変更届けを提出するので,変更されていないということはありえない。今回の様に全く変更されていないというのは,学会側の不手際であると言い切れる。
後日,新住所に振り込み用紙が届いた。ところが,それは白紙であり,振込先の口座番号等が記されてない。これでは振り込むことはできない。そこで,事務手続きの仕方が異常としか思えないと苦情の手紙を送ったところ,凡そ人間の論理とは思えない内容が返ってきた。何でも,記号等記入のない振替用紙を送ったことは詫びるが,それは記入済みのものに混じっていたためだというのである。そこで,振込み用紙を見たところ,金額欄には3000円の印字がなされている。請求額は9000円であったはずではなかったか。これでは再度送金ができない。
恐らく,未記入の用紙を送ってよこしたのは,普段使用しているものが,今回送られてきた印刷済みの用紙であったから,金額が記載されていないものをということだったのだろう。しかし,その際,振込先口座番号等を記載するのを怠ったのである。ところが,今回,記載済みのものの中に白紙が混ざっていて,たまたまそれが届いたのたと言い訳しているのである。最初に9000円の請求をしておきながら,自らが何を請求したのかを理解していないのである。だから,通常使用している用紙を送りさえすればよいと思い込んでいるのだ。
そればかりか,その言い訳は,更に屁理屈が長々と綴られていた。現事務局が引き継いで以来,数度にわたって郵便物が宛先不明で返ってきており,郵便局でも把握していないというのである。また,日仏会館宛に住所変更届け等の文書が届いても,その場所には事務局の者が誰もいないことについては,再三,会員に周知徹底するようにしてきているとも付言されていた。ということは,今までこちらから出した住所変更届けは,事務局側の都合によって,通知されていなかった訳である。しかし,現に使用されている封書に明記されている住所宛てに送った郵便物は届かないことになっているということを真顔で述べることのできる人間を正常と言えるものであろうか。この言い訳は,「ミスがあってはならないことは確かですが,お手紙のように悪し様に言われるべきことではないと存じます。」と締め括られていた。
人は誤るのが性である。誰がミスを責めるであろうか。責められるべきは,その手続きのいい加減さであり,それによって齎される結果に対する釈明にもならない屁理屈である。正常な論理が通用しないところで何を言っても無駄であろう。
さて,ついでまで,拙書についての「書評」そのものについて,若干,触れておくことにしよう。余り期待していなかったが,予想通りだったと言える。しかし,好意的に評して下さったことに対しては感謝せねばならない。だが,疑義に対しては答えておいてもよかろう。
第一に,拙書でデカルトにおける音楽上の「経験論」がラモーに影響を与えたとした点について,評者は「このようなラモーの模倣論における経験と,デカルトが『提要』において示した音楽上の経験主義的傾向は,問題の位相が大いに異なると言えるのではないだろうか?」(171頁)と述べているが,私には意味がわからない。少なくとも評者もデカルトとラモーが双方とも音楽上の経験主義であることを認めている。そして,この影響関係について明確に述べているのはラモー本人である。「問題の位相が大いに異なる」という事実は,それとどう矛盾するというのであろうか。(ここに「矛盾」という場合,対象を「否定し去る」ことを指す。その場合,評者は評者自身の前提と矛盾することになるだろう。)
第二に,評者は「『提要』からの連続性の方を強調するあまり,1630年前後におけるデカルト哲学の転換点に関して,ほとんど通りすがりにしか触れられていない」(同頁)と述べているが,むしろ私には,「1630年前後におけるデカルト哲学の転換点」があったということ自体に信憑性が欠けるように思われる。おそらく評者が念頭においているのは「永遠真理創造説」のことであろうが,しかし,デカルト研究においても,このような「転換」があったのか否かについて,立場が分かれている。
拙書における立場は,この「永遠真理」の問題が,音楽理論についてデカルトとメルセンヌとの間でやりとりされた書簡において取り上げられていることから,聖書の『知恵の書』における伝統的コスモロジーの問題が背景にあると考え論じたはずである。即ち,当の「転換」は,デカルトにとっては,むしろ『音楽提要』において完全に果たされ,それ以降には大した問題とはならなかったというのが,拙書における大きな主張の一つであるのだから。
このことは,評者にはハナから興味のないことであったようであり,読み飛ばされることとなったのであろう。従って,評者が「1630年前後の転換に対する配慮の希薄さ」といった強調をすることによって,評者が拙書を読まなかった事実がいよいよあからさまになるのである。そして,いわばこの「1630年転換説」の信者は,批判の根拠を既出の Van Wymeersch の著作の中に見出す。しかし,同書に書かれることは「新奇」ではあれ,見るべきものはない。論者は,拙書も同書も読んでいないことだろう。
これは先に述べた「音楽学会」における件と関わることであるが,実は,私がこの Wymeersch の著書の書評を記そうと思ったのは,以前,『フランス哲学・思想研究』において拙論に対する批判文を書いた論者が個人的にやりとりした手紙の中で触れていたことがきっかけであった。先方が主張することが余りにおかしいので,「参照している文献」と言っているものを読んでみようと思ったわけである。それで「書評」を書こうと思い立ったところ,あの結末であった。また,当初,日仏哲学会からこの方に今回の書評の依頼があったそうだが,それを断って,今回の評者を推したのだということであった。私は,いつまでエクソシストを務めねばならないのだろうか。
もう,「音楽学会」について語った事を,ここでは繰り返さない。
その後,「日仏哲学会」から,ある近刊書について「書評」をお願いできないかという打診があった。「適任者であれば,いくらでもおられるのではないか」と尋ねたところ,「美学領域が関わってくるため,適任者が見付からない」というのである。「しかし,その程度のことを理解しているまともな研究者は幾らでもおられるはずでしょうから・・・」と出掛かったが,丁重にお断りした。
もうそれ以上関わりたくはなかった。
私は元々,理科系の人間であり,専門は「数学」であった。とはいっても,最後にはこの理系の学問にも絶望し,大学院に進む際に,哲学に転向した訳ではあるが。
「数学」は,その議論は「論証」が中心である。その「論証」自体の正当性がどこかで保証されてこそ,当の「論証」による結果に信頼が置かれる。「数学」そのものの真理性に関しては,「数理哲学」における問題であるのでここでは立ち入らない。しかし,それでも,「論証」そのものの正当化なくして,「数学」が学問であるということはありえない。
たとえ文科系の学問であっても,それが「学問」と言われる以上,「論証」は重要である。むしろ,そして,「数学」の場合以上に,その「論証」自体を正当化する手続きは,多種多様で煩雑であり,それだけに慎重になされなければならない。ところが,「何々という書籍に書かれている」あるいは「原典のここにこう書いてある」ということ,このことのみを根拠として自らの主張の正当化が成功していると思っている御仁が余りに多い。しかし,私が曲がりなりにも訓練を受けることのできた「デカルト研究会」においては,そのようなまやかしは決して許されなかった。同研究会の活動は,自然な成り行きの中で,消滅してしまったのであるが・・・
大学の教員においても「業績」評価なるものがある。しかし,「論証」のないものを「論文」と称し,誇らしげに一覧にしている御仁もある。その実,「随想」によって埋め尽くされているだけのことなのだが,不思議なことに,当人はそれに気付いていないのである。
さて,今年,2004年の夏,残暑見舞いの中で,私は「研究を断念する」旨を記した。これに驚いた方々もおられるようであるが,しかし,その真意を取り違えておられる方々もあるようなので,補足したい。
私は「研究活動」を中止している今現在でも,どこかへ出かけるときには何らかの専門書を携え,「読書」をしている。しかし,この「読書」を「研究活動」だとは思わない。それがどの様に難解な理学書であれ,通常の書店では入手できない古文書であれ,趣味で何かを調査している人々でさえも,その程度の「読書」はしている。それは「研究活動」ではない。一般のサラリーマンの中にさえ,教養を身につけようと,専門家でも手にしない本を通勤電車の中で読んでいることさえありうる。
だが,それでも「読書」は「研究活動」と繋がりうる。どの様なときにそうなるのかと言えば,そこに書かれていることを確認しながら読むときである。その場合,複数の書物を同時に読み,また,それと並行して,複数の辞書を調べていくこととなる。これには独特の精神の緊張が伴われる。そして,それが持続される中で,それまで何の関連性もないと思われたある記述とある記述とが,緊密な関係を帯びてくる。やがて「知の連鎖」のマップが突如として現れる。それが学術的発見の瞬間である。この手続きの存在しないものを「学術論文」であると称する気に,私はなれない。
しかし,実際には,「学術」と言われる場においては,この様なものは求められている訳ではないし,また,「学術研究機関」と言われる場において,その営みを成す条件を欲したとしても,与えられる訳ではない。
少なくとも,今の私には,「研究」の諸条件は与えられていない。
(以上,2004年当サイト開設時の状態に復元。但し,リンク等については適宜修正を施した。)
あらためて
既に私は,「WEBサイト」の「情報発信」という役割に対して疑義を抱いているという旨を表明した。しかし,それでも尚,今の私の絶望的な状況に助力を与える何らかのツールとは成りうると思う。それは次の二つの点においてである。
先ず,インターネットのもつ第1の特徴である「ユビキタス ubiquitous 」の思想である。それは,場所に束縛されずに,自らの思索を積み重ねることができるということである。確かに,「既に記された記号」は「私の嘗ての思索の結果」であり,「今」は意味をもたないかもしれない。だが,その「既に記された記号」を元に,更に,「今の私」は思索を進めることができる。そして,端末さえあれば,空間に制限されることはない。
だが,それだけであるならば,ノート型PC上で,嘗て自らが認めた文書を操作すればいいだけのことである。更に言えば,「ノート」に「ペン」という,最も原始的な記録方法でいいはずではないか。
いや,そうではない。むしろ,インターネットのもつ第2の特徴によってこそ,その差異は際立つであろう。それは,「ハイパーリンク hyperlink 」の思想である。これにより,あるテキスト,更には,字句に対する注釈を,直接に他のテキストにより施すことが可能となる。つまり,これは,「文献学」における方法とも言える「注釈」を,より高度により有機的に展開することができる可能性を秘めているのである。あるいは,旨くすれば,かつて思索した精妙な「知の連鎖」の糸を,後になって,中断したその場から辿り直すことが可能となるかも知れない。
最後に繰り返すが,私は現在自らがおかれている「研究」の条件に絶望している。だからこそ,敢えて,「文科系」の研究において,このITの利器が如何なる可能性をもっているのかを,与えられた条件の中で,ここに実験しようと思うのである。
(以上,2004年当サイト開設時の状態に復元。但し,リンク等については適宜修正を施した。)
追記
私は,2010年夏に精神障害(身体性抑うつ症)に罹患し一定以上の読み書きが困難な健康状態に陥った。既に研究者としての生命を完全に絶たれている。
この傷害は,大学執行部が,2002年度以来私の身に継続的に起こっていた人権問題(差別的処遇及びネグレクト)を隠蔽し,私が内容証明等の文書にて直訴した後も,数年にわたって放置したことにより齎されたものである。大学執行部は,その後も依然として事実関係を調査するための委員会を立ち上げることはなかった。
遂に,2011年1月,労働基準監督署に労災の申請をすることとなったが,担当監督官の虚偽公文書作成によって却下された。更に,2012年2月7日付で神奈川県労働局に「審査請求」をし,同年9月28日付で「決定書」が届くも,請求棄却。続いて,2012年10月30日付で 労働保険審査会に「再審査請求」をしたものの,2013年7月24日付で「裁決書」が届き,やはり請求棄却。
これらの判断根拠は一貫して大学側証人らの「偽証」と各審査官(員)らの「不実(虚偽)記載」によるものであった。
このような労働行政の対応は,雇用者側債務不履行によりうつ病を発症し勝訴した最初の判例である東芝・過労うつ病労災・解雇事件と全く違わず,いつまで猿が行政を牛耳っているのかと思わされる。
この判断に関わった人間は,全て「推論障害」という精神病を患っておられるようであり,初等教育において身に付けてしかるべき「単純な推論」の全てに誤謬を犯しているという有様である。関係者らは全て,この様な社会的に甚大な影響を及ぼしうる職を今すぐにでも辞し,一刻も早く治療に専念すべきであると考えられる。
尚,本件は単に一個人に関する民事的事案ではなく,既に2010年10月25日付で厚労相・文科相に教育・労働行政に対する改善を文書にて要望したにも拘らず放置され,その後も教育現場での問題が相次いで発生している以上,厚生労働省及び文部科学省はその責任を免れることはできないであろう。
その事実は,2013年1月21日付「貴職の職務放棄による人権蹂躙幇助について」(報告)に明らかである。
労働保険審査会に再審査請求するにあたって2013年1月15日付「申立書」を提出したが,これは既に「行政文書」となっており,その写しを以下の機関に送付済みである。
2014年1月23日付で労災補償給付不支給決定取消請求の行政事件訴訟を提起。2015年7月28日に本人尋問を終え,2015年9月24日に判決が言い渡されたものの,これまで同様,労基署の不実記載をそのまま書き写して判決文を作成して,請求を棄却した不当判決に過ぎない。
2015年12月7日付けで控訴したものの,2016年4月28日に高裁によって棄却された。これまで同様,労基署の不実記載をそのまま書き写して判決文を作成して,請求を棄却した不当判決が繰り返されただけである。
要するに行政と司法が結託し,国民の人権を蹂躙しているのが現状である。
今後は新サイトにおいて,大学の組織的人権蹂躙と国の人権蹂躙幇助について,告発していくことになるだろう。
注
- だが,経済的利潤とは無関係である学術界から一旦解き放たれたツールは,産業界に取り入れられるや,使用権・特許権を楯に,利潤を生むための肥しにされることとなった。このため,その精神において無償であったツールに対し,学術研究者らは,自らが高度なタスクをこなそうとすればするほど,高額の費用を負担せねばならないというジレンマに陥っている。特に,Windows ベースで文科系の研究を進めて行くと,使用しているソフトのスペックの限界がその研究者の能力的限界ともなりかねない。尤も,そのような限界を感じるほどに,この現代の利器を使こなせる文科系研究者は僅少ではある。現に,主要な学会のWEBサイト上で,諸手続きをCGI等によって自動化しているものは皆無である。この「諸手続きの自動化」こそ,IT社会のモラルであるはずであるのにである。これに対し彼らはこう反論するであろう,「手続きとは様式が重要なのだ」,と。とんでもない。こんなものは,自分らの無能さを隠すための言い訳に過ぎない。
- WEBサイトの場合には,上述の「ハードディスク」を「サーバ」と読み替えればよいのであるから(それを否定するとすれば,貴方の読んでいるこの画面の記号列は,一体,何処に格納されていると言えばよいのであろうか?),この言い換えによって何らの救いが齎されるという訳ではない。
- いや,「哲学者」を自称していながら,「本人訴訟」もできない人間は,その能力に欠けていると言うべきであろう。ソクラテスが「刑死」し,プラトンが「法」そのものに対する哲学的思惟を深め,アリストテレスが「法廷における言説」を分析したところから,我々の「哲学」が始まったことを考えるならば,それは極めて当然のことなのだ。
- 内覧会というのは,完全に完成した段階で入居契約前に行われるものであるが,この段階に至って,不具合の発見されない物件というのは,皆無である。入居後に,即ち,明け渡し後に不具合箇所が発見された場合には,入居者による破損箇所と見なされ,自費で修理することになる。
- 実は,マンション管理組合の「理事長」という立場は,単に「選ばれたから仕方なしにやっている」という意識では務まる代物ではないのである。「区分所有法」の上では,共有資産の「管理者」の立場となり,その責務を十分に果たさない場合,罰金を課される可能性があることが定められている。従って,例えば,「管理費」などの節減ができる部分に関して,改善することがなかった場合には,共有資産に対して損害を負わせたと考えられ,組合の側からは,その一人に対して,損害賠償請求できるのである。「たまたま押し付けられた仕事だから,何もわからなかった」というのは言い訳にはならない。法律上,立派な「過失」であり,法的責任が問われることとなる。
- 日本の「学識経験者」と言われる多くは,分譲マンションに住んでいるはずである。しかし,そのような「偉い」人々はこのことを知らないようである。このことを熟知していれば,行政に対して現状の改善に関する何の働きかけもしないでいるということがどれだけ愚かしいことかがわかるはずである。
- 例えば,バルコニーに物置を設置すること,窓のサッシを付け替えること,隣室との間にある構造壁に釘を打ち付けること等は,「共有資産に損害を与えた」ものとされ,「管理組合」に対して損害賠償しなければならない。何故ならば,これらは,「区分所有法」の上では,全て「共有部分」であると規定されており,個々の区分所有者に対しては,単に「専用使用権」が与えられているに過ぎず,これを勝手に改変することはできないとされているからである。