二元論への懐疑

SCIENTIA

高校生クイズ

ずっと続いているメールサーバのトラブルで,この一ヶ月の間メールのやりとりがスムーズにいっていなかった。

久しぶりにメールの整理をしていたら,4月中旬に高校生クイズの担当者から,デカルト哲学についての問い合わせが来ていたらしい。だが,メールサーバ一の件で確認もできず,見落としていた。

既に一ヶ月以上に経っているし内容も大したものではないので,解決済みだろうと思っていたが,放っておくのも何だと思い,念のため今日になってから担当者に連絡してみた。予想通り解決済みということだった。他の研究者にも確認したのだろう。

二元論

それにしても,心身二元論がデカルトから始まったなどという珍説を誰が提唱したのだろうか。

心身二元論はピュタゴラスが明確に打ち出した学説であって,それ以降,原理的には変化はなかった。これに対抗したのがアリストテレスの形相-質料説で,これを取り込んだスコラ哲学では,「魂 anima」は肉体と共に滅ぶ。しかし,「無からの創造」という概念から理解される通り,「霊 Spiritus」である神と物質の「二元論」は残り続ける。

ここから,「人間」における「神性」が問題になったとき,改めて「魂の不死」についての議論が生じる。一般に「中世哲学研究」という枠組みでは,「アヴェロエス主義」の問題のみを取り上げるのであるが,「精神史」という枠組みでは,むしろその「中世」にもずっと継承されていた「ピュタゴラス主義」のほうが問題である。

ピュタゴラスのほうがアヴェロエスよりも遥に古く,しかもキリスト教に影響を及ぼし続けてきた哲学者である。何せ「哲学ピロソピア」という言葉は,ピュタゴラスから始まるのだから。〔ついでまで,「コペルニクス」は当時「ピュタゴラス主義者」であると考えられていた。それを「プラトン主義」と呼ぶのは,トーマス・クーン等「科学史家」の捏造である。〕

この「ピュタゴラス主義」における主題を捉え直したのがデカルトである。だから彼は,自律した魂の本性を「思惟」とし,新たな「代数学」が適用可能となるように学の対象から「形相」を排除し,「延長」という概念を導入したのである。

遠近法

しかし,これは結果に過ぎない。というのも,このデカルトの概念装置は,「機械学的諸技術 Artes Mechanicæ」としての「絵画論」の中に,全て準備されていたからである。これはパノフスキーの『〈象徴形式〉としての遠近法』以来,精神史における定説ではないだろうか。

そして,まさに,「自由4学芸 Quadrivium」における「象徴数学」ではなく,「機械学的諸技術」における「実用数学」 — この中心的理論書が『ユークリッド原論』であった — における術語の一つが,デカルトの用いる “ingenium” である。「当代の数学者」と言われたクラヴィウスやデカルトの理解者であり数学的諸学に長けていたメルセンヌの著作には,共通してこの概念が現れる。

「ピュタゴラス=プラトン主義」と「機械学的諸技術」とが融合した思想的系譜 — そして,近代の「魔術思想」とは異なったあり方をしたもの — こそが,未だ誰も着目していない精神史のミッシングリンクである。それは,おそらく,アルベルティからレオナルド・ダ・ヴィンチを「思想的に」繋ぎ,デカルトはその延長線上に位置付けられるはずである。

ルネサンス期に新たに「学」の名乗りを上げた「絵画」の形而上学 — 「画家」達は自らのことを「デミウルゴス」であると信じた — こそが,デカルトによって提唱され基礎付けられる「数学的自然学」の源流であると考えられるのである。


旧ウェブ日記2010年5月24日付

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