祖父
祖父の七回忌があり,前日実家に一泊した。法事とはいえ,非常に質素に終わった。祖父の日常も質素だったし,その葬儀も質素であったから,当たり前といえば当たり前のことかもしれない。
祖父は有名な人間ではない。日本鉄鋼連盟の役員であったこともあるが,それでもそのことを世間の人が知っているわけではない。趣味は登山であったから,日本山岳学会の会報を通じて名前を知っておられる方があるかもしれないが,その程度の知名度だろう。
学者
私の家系は,学者の系統ではあれ,落ちぶれたというべきだろう。だが,漢学者であった 他山 は「他山塾」を開き,後に国会議員になっている。
私の曽祖父にあたる 良 は他山の子にあたるが,英語学者であり,英語学者辞典にも名が載り,また,今でも続いている英語雑誌『英語青年』の第89巻第11号(昭和18年11月1日発行)は,その追悼記念号になっている。
松山高等学校が創設され,夏目漱石が留学するや,その後任として教鞭をとった。『坊ちゃん』の山嵐,『野分』の主人公のモデルと言われる。大酒のみでハイカラで,矢張り「変わり者」だったらしい。
漱石からの書簡もあったらしいし,漱石の書簡の中にも曽祖父の名が出てくるらしいが(『岩波漱石全集』参照),偉ぶる血筋でもないので,残っていた書簡もみな便所紙として使われてしまったらしい。
よくよく調べてみるといろいろな人物を排出している家系なのだが,子孫はそんなことに無頓着で,ほとんど資料が残ってない。
小野寺中将
その数少ない資料の中に,『非運の将軍 小野寺長治郎伝』(昭和55年)という伝記がある。この書の281~284頁に,祖父が「憶い出」という短い文章を寄せている。すなわち,祖父は小野寺中将の甥であり,小野寺中将は祖父の伯父である。その文の中に次のような箇所がある。
昭和の始め頃のある年の元旦のことであった。新聞一頁に馬上の天皇陛下の写真に添えて,颯たる聖上陛下の御英姿という写真説明が掲載されていた。伯父が指さしながら,
「こういう嘘を書くからいけない……。この写真を見て颯々と思う者は誰もいない……。天皇陛下と書いてあるだけでよい……。それでねうちが下がるわけではない……。」
と云うのであった。このときは伯父と私と二人だけであった。伯父は心にもないことを云うのを受けつけない人であった。
しかし,この追悼文に書かれた「伯父」の姿は,私の祖父そのものの姿であった。
旧ウェブ日記2004年3月28日付