病的な倦怠感

PRIVATÆ

報告

午後,定期通院だった。

いつもと同様,主治医には前回からの変化を報告したのだが,最近では夜は眠気がして睡眠がきちんととれるようになったこと,このところPC作業などで疲労が蓄積しているものの,以前のような病的な倦怠とは違って,休めばそれなりに回復することなどを伝えた。

主治医が言うには,私の話の内容が医学の教科書通りで,自分が診てきた多くの患者も同様の症状を訴えるのだが,ただ,私が自らの症状を上手く言語化するので,とても勉強になるということだった。

言語化

それにはちょっと,私も驚いたのだが,確かに医学書は多くの臨床事例から分析して纏めてあるものの,それを記した医者自身がその症状を経験している訳ではなく,また,実際に主治医が診てきて多くの患者にしても,多くは上手く言語化できずに,そのこと自体にストレスを覚え苦しんでいるのが現状だという。

私の場合には,自らが思考することを正確に分析し言語化するのを生業すぎわいとしているためなのか,同じ症例に対する表現にしても,教科書の表現以上に明晰なのだという。

たしかに,こうして通院する際には,自らの生活行動と心身症状の変化について分析し,主治医に正確に理解して貰うために,予め説明をある程度組み立てて赴くわけであるから,診察する上で医師が知りたい情報を効率よく提供していることにはなるだろう。

特に今回主治医が指摘していたのは,医学書にも「病的な倦怠感」という表現はよく現れ,また,その症状を患者も訴えるのであるが,私がその症状についてこれまで機会ある毎に説明してきたことは,医学書や多くの患者の診察では理解できなかった新しい知見を与えるのだという。

文章化?

しまいには,どこかでその機会があれば,それに関する文章を書いて頂ければ,後進の育成にも役立つ教材になるだろうとのことだった。

最初は冗談なのかと思っていたのだが,何度もそのことを言われるので,それがこの医学分野にとっても本当に重要なことなのだろうと思われた。

勿論,今は自らの眼の前にある日々の作業をこなすだけで精一杯で,とてもそれ以外の文章を記すことにエネルギーを費やすことはできない — リハビリのつもりで引き受けたエッセーですら,ほぼ心身ストレスの限界の中で記していたぐらいなのだから — が,医療の発展にほんのささやかな貢献ができるのであれば,また,これまで親身になって傷病に付き合って下さった先生のお役に立てるのであれば,本当に寛解に至ったと判断できる状態になったときには,自らの善と思えることを遂行すべしであろう。

そのときが,近い将来訪れることを望むものである。

変なもの

ついでに,クリニックの変なものどもシリーズ第3弾。

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