ラシーヌ讃歌
フォーレ (Gabriel Urbain Fauré, 1845-1924) に〈ラシーヌ讃歌 Cantique de Jean Racine〉 Op.11 という合唱曲がある。19歳のときの作品だ。
以下は歌詞の対訳(私訳)である。
Verbe égal au Très-Haut, notre unique espérance, Jour éternel de la terre et des cieux, De la paisible nuit nous rompons le silence : Divin sauveur, jette sur nous les yeux. いと高き者に等しき言葉,我々の唯一の希望, 大地と諸天における永遠なる陽光, 穏やかな夜の静寂を,我々は破ります。 神の救い主よ,我々にその眼差しをお向け下さい。 Répands sur nous le feu de ta grâce puissante ; Que tout l'enfer fuie au son de ta voix ; Dissipe ce sommeil d'une âme languissante Qui la conduit à l'oubli de tes lois! 我々に貴方の力ある恩寵の火を放って下さい。 あらゆる邪悪なものが,貴方の声の響きに逃げ去りますように。 苦悩する魂のこの眠りをかき消して下さい。 それは,貴方の法を忘却に追いやるよう,魂を唆すものなのですから。 Ô Christ ! sois favorable à ce peuple fidèle, Pour te bénir maintenant assemblé ; Reçois les chants qu'il offre à ta gloire immortelle, Et de tes dons qu'il retourne comblé. ああ,キリストよ。この忠実なる者どもに寛容であってください, この者らは,貴方を讃えるために,今ここに集っているのです。 貴方の不滅の栄光に捧げる歌をお受け取り下さい。 そして,貴方の賜物に満たされてお返しする〔歌を〕。
この曲の題名「ラシーヌ讃歌」であるが,原題の "Cantique" には「雅歌」という意味もあるため,しばしば「ラシーヌの雅歌」と和訳すべきだと主張する人も見受けられる。”le Cantique des Cantiques” あるいは “le Cantique de Salomon” と言えば,『旧約聖書』の「雅歌」である。
しかし,「讃歌」と訳そうと「雅歌」と訳そうと,単なる訳語の置き換えで問題が解決するわけではない。
アンブロシウス聖歌
この歌詞はラシーヌ (Jean Baptiste Racine,1639-1699) によるものではあるが,彼のオリジナルなのではなく,偽アンブロシウス(Pseudo-Ambrosius) による有名な聖務日課の聖歌に基づくものである。
ということは,「ラシーヌの訳によるアンブロシウス聖歌」というのが正しい。
「偽 pseudo」と頭に付いているのは,「偽書」や「言い伝え」ということである。本人が記したという確証がなく,また,実際に記された時代が全く異なっているものでありながら,「権威付け」のために,過去の聖人の名前を利用した場合に多く使われる。
アンブロシウス (Ambrosius, ca.340-397) は,キリスト教における「聖歌」の改革をした人物であり,アウグスティヌス (Aurelius Augustinus, 354-430) の音楽思想に多大な影響を与えた。
初期キリスト教においては,「音楽に感情を奪われる」ことは「罪」であるとされたが,アウグスティヌスはそれを踏襲しながらも,「敬虔さへと誘うならば」という条件付きで,「音楽」を擁護することとなる。
人が真理への前進のために魂を揺さぶる響きを求めるとき,アウグスティヌスの教えに従っている。
参考まで,次が,元の「アンブロシウス聖歌」(私訳付き)である。
Consors paterni luminis, Lux ipse lucis et dies, Noctem canendo rumpimus: Assiste postulantibus. 父の光を分かち持つ者, 貴方は,光の光そして太陽の輝き, 私達は,歌を賛美して,夜の静寂を破ります。 請願する者達をお助け下さい。 Aufer tenebras mentium, Fuga catervas dæmonum, Expelle somnolentiam Ne pigritantes obruat. 心の闇を払い除けて下さい。 悪魔の群れを追い払って下さい。 眠気を一掃して下さい, 怠惰なる者達が埋もれることのないように。 Sic, Christe, nobis omnibus Indulgeas credentibus, Ut prosit exorantibus Quod præcinentes psallimus. キリストよ,我々全てに対し, 信仰を告白する者に対し,貴方は寛容なのですから, 嘆願する者らをお助け下さい。 先導者らに合わせて我々は唱和しますので。 Sit, Christe, rex piissime, Tibi Patrique gloria Cum Spiritu Paraclito In sempiterna sæcula. Amen. キリストよ,いとも慈悲深き王よ, 貴方と父とに栄光がありますように, そして,聖霊と共に, 世々限りなく。 アーメン。
これと比較することによって,ラシーヌのフランス語改訳が如何に「秘められた宗教的感情」に満たされているかが理解されよう。
19歳のフォーレは,この詩を選び,そこに音楽を付した。こうして出来上がった〈ラシーヌ讃歌〉は,宗教的官能美とでも言うべき美しさで,非キリスト教徒である我々をも魅了してやまない。
月光
フォーレの〈ラシーヌ讃歌〉の調性は「変ニ長調 Des-Dur」である。「フラット」が5つ付く。
ショパン (Frédéric François Chopin, 1810-1849) はこの調を好んで使った。《前奏曲集 Préludes》 Op.28 の第15番(俗称「雨だれ」)や,〈子守歌 Berceuse〉 Op.57 は,この調性である。
ショパンにとって,この「変ニ長調」は「夜の微睡み」を意味していたとは考えられまいか。
ジャン=ジャック・エーゲルディンゲルの『ショパンの響き』(音楽之友社,2007年)は,ショパンの 〈前奏曲 嬰ハ短調〉 Op.45 の分析を通じ,この曲がベートホーフェン (Ludwig van Beethoven, 1770-1827) の〈ピアノソナタ 第14番 嬰ハ短調〉 Op.27/2 に強い近親性をもつことを指摘する。
ベートホーフェンのこのソナタは俗称「月光ソナタ」であるが,作曲者は単に「幻想曲風ソナタ Sonata quasi una fantasia」と記しているに過ぎない。そして,彼自身はこの曲が「月光」と関係するなどとは思いも寄らなかったことに違いない。
この曲が「月光」と関係付けられるようになったのは,彼の時代ではなく,ロマン主義の時代におけるベートホーフェン崇拝によってであった。
バロック時代においては,調号(シャープやフラット)は,多くても4つを使う調までしか用いられなかった。従って,「調–性格論」の中で「意味」が付与された調は,それらに限られていたということになる。
逆に,調号が4つを越える調については,未だ「象徴的意味」が獲得されていなかったと言える。バッハが《善く整えられたクラヴィーア Das Wohltemperierte Clavier》 BWV 846-893 において,全ての長短調を駆使しながらも,調号の多い調性については移調して作曲したということが知られている。
また,バロック時代におけるこの原則にも「例外」がある。「トンボー Tombeau」と言われる「追悼曲」には — 場合によっては部分的に転調して — 調号の多い短調が用いられることが多い。これは楽器の鳴りにくい音域を利用することによって,光の届かない「異界」を表現するものであるように思われる。
これらの「事実」は,ショパンの時代における新たな「調–性格論」についてある事実を示唆する。エーゲルディンゲルの上掲書も指摘するように,「シューベルト以降,概して19世紀には,調号の数が多い調性が月にまつわる歌曲に用いられた」のであり,また,「同じ傾向は,月に関係するエピグラフやタイトルを持つ多くのピアノ曲にも指摘できる」のである。
ドビュッシーは《映像 Images》第2集第2曲「かくして月は廃寺に落ちる Et la lune descend sur la temple qui fut」で「嬰ト短調 gis-Moll」を響かせ,また,《前奏曲 Préludes》第2集第7曲「月光の降り注ぐ謁見のテラス …La terrasse des audiences du clair de lune」では「嬰ヘ長調 Fis-Dur」を使用している。
ショパンの美学
更に,エーゲルディンゲルは,ドビュッシーの《ベルガマスク組曲 Suite Bergamasque》 の〈月光 Clair du Lune〉 は,ショパンの《夜想曲 Nocturnes》 Op.27 に着想を得たものだという指摘をしている。
既述の通り,ベートホーフェンの〈幻想曲風ソナタ〉は,ロマン主義の中で月光と関連付けられることになった。その一方,ロマン主義の中で,「秘教的」なものが「月光」のもつ力と結び付くことは,しばしばであった。こうして,例えば,「魔女」はルネサンス的文脈とは異なる「意味」を獲得する。これは現在の我々がもつ月夜の魔女のイメージの原型である。
ショパンの《ノクターン》の中に我々が聴き取る「月夜」のイメージ — それはまさにショパンによって自覚的に築き上げられた新たな音楽美学によるものだった。
ショパンの音楽は「バロック美学」の完成であると同時に,「ロマン派」の典型でもあり,それは「印象派」の源泉となっていくのである。
〈ラシーヌ讃歌〉のフォーレは,これを作るにあたって「変ニ長調」を選ぶことにより,自らがショパンの子であることを示したのであろうか。
旧ウェブ日記2010年3月25日付