招待
昨年,オーストリア在住のチェリスト平野玲音さんの集いの会報に文章を寄せることとなったのだが,そのお礼にということで,今年はその会に無料招待して頂けることとなった。
来週,帰国演奏会があり,その前にこうした集いの場を設けて,知己との親交を深めているわけだ。
残念なことに,このコンサート当日は校務があるため,せっかくの演奏を聴きに行くことはできない。だから,せめて束の間の時間でも,平野さんの演奏を聴く機会が得られたのは幸運だと思わなければならないだろう。
演奏
プログラムは小品を並べたものだった。
昨年も同様のことを書いたのだが,この集いの参加者はとりたてて音楽関係者が多いというわけでもないのだが,文化としての音楽というものを受け容れている人たちが多いのか,集中して演奏に耳を傾けることができる。
平野さんの演奏は,聴く度にその研鑽の跡がうかがわれ,特に今回はどの曲もある種の深みに達していた。バッハの無伴奏は,もちろんモダン楽器の演奏であるにも拘らず,バロックチェロ,ときとしてビオラ・ダ・ガンバの響きとも紛うような音色が耳を惹きつけた。しかも,極度の音楽的緊張が途切れることなく持続していた。最早神域に達しているのではないかとも思える。
クライスラーは,中でも『愛の悲しみ』は至るところで耳にすることができる「凡庸なヴァイオリン音楽」としてしか考えていなかったのだが,あたかも最初からチェロの為に書かれた音楽でもあるかのように,雄弁に響いていた。それを聴きながら,久しぶりに音楽的な幸福を思い起こすことができ,涙が零れそうになった。
勿論,ピアノ伴奏者の力量とコンビネーションもあってこその音楽なのだろう。
コース
その後,食事会が続いたのだが,シェ・モルチェのランチ・コースメニューだ。
普段はこんなものを自ら口にしようとも思わない。主催者側が少し金銭的に負担し,参加者はコンサートと込みで少し参加費を負担する。私は,昨年の拙い文章のお礼ということで,申し訳ないことに,無償でご馳走して頂いた。
歓談
そういえば,受け付けの際に席が割り当てられるのであるが,今回は,平野さんのお母様の高校同窓生の方々3名と同席させて頂いた。
初対面の方々なので最初はどうなるのかと思ったのだが,非常に良識と教養があり,団塊世代でありながら今も様々なことに興味をもって取り組んでおられるようで,殊の外会話が弾んだ。
おひと方に名刺を頂いたのだが,こういうときのために名刺を用意するという習慣がないので,恐縮してしまう。そろそろ作っておいたほうがよいのだろうか……
まあ,病気で療養生活がずっと続いている人間が,こうした社交の場に出てくるというのも年に一度あるか無いかぐらいでもあるわけだし,迷うところではある。
そうこうしているうちに,この集いでは恒例のビンゴ大会の時間となった。平野さんがヴィーンからお土産を買ってきて,それを景品にするわけだ。
私もこういうイヴェントには興味もなく,景品も欲しかったわけではないのだが,たまたま当たったので,チョコレートを頂いた。
オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世らしい。中はこんな感じだ。
そういえば,今日は天候には恵まれた。昨日までははっきりしない天候が続き,今日も気温が上がるとは聞いていたものの,このところ予報も当てにならなかったので,念の為ダウンを着ていった — というよりも,他は全てクリーニングに出してしまっていた。行きは丁度よかったが,帰りは暑いくらいだった。
改めて,春を実感できるような贅沢な一日だった。