質問者
ルネサンス研究会が同志社大学今出川キャンパスで行われた。
今回は,『疎まれし者デカルト』(世界思想社刊)を出版された山口信夫先生ご自身が著書の内容について紹介なさり,また,私もその内容について質問する予定であったので,半ば他動的な理由で参加することになった。
しかし,結果としては,自らの研究に対するモティベーションを高めることができたという意味では,よかったと思う。
思想史という亜流
山口先生の著書紹介の前には,他のお二方の研究発表があったが,山口先生の研究が18世紀におけるデカルト神話の形成に関する内容であるだけに「ルネサンス研究会」においては場違いな気もした。しかし,主催者であられる根占献一先生や伊藤博明先生は,寧ろ今回の内容を積極的に設定しておられたようである。
山口先生がお話しになる際,伊藤博明先生が司会をなさり,その際,伊藤先生ご自身が研鑽なさった時代には,「哲学史」が正当な学問であるのに対し「思想史」は亜流であると考えられる風潮があり,自らの研究分野は肩身の狭い思いをしてきた,という苦労話を若干なさっておられた。
そのことを踏まえてみれば,そもそも「ルネサンス研究会」という研究者の交流の場が,この様な形で存続しえたのは,同会の中心となってこられた先生方が常に自らの「学問方法論」に対する根本的・根源的な反省を強いられてきたことを物語る。
現に,根占先生にしろ伊藤先生にしろ,傍目で見て何が専門であるのかわからないほどに,専門外の分野を理解する能力があり,実際よくご存知であり,即座に的確に判断することができる。
私はそれを見ていて,いつも,研究者としての資質というものはこの様なものでなければならないと思わされてきた。今回もそうである。
しかし,それでも同会は決して堅苦しいものではない。質疑応答の内容も極めて厳しいものであることがしばしばではあるが,それでも,それらは常に興味のつきない内容のものである。
オルガノン
山口先生ご自身のお話しになった内容は自著の紹介ではあるが,しかし,「思想史」研究というもののもつ凄まじい世界を垣間見たような思いであった。事実,同書は簡潔であり廉価ではあるが,まさに「思想史」研究というものの教科書とも言える作品であると思う。
こうしたことを顧みるならば,今回の山口先生の著書紹介は,この「ルネサンス研究会」にあってこそ相応しいものであったのだと言いうるであろう。
懇親会の席では,山口先生と現代的な「図書館・情報学」のあり方について,学術的なデータベースとそのデータ解析法を考える上で,文科系研究者用のコンピュータツールを開発する必要があるのではないかということで意見が一致し,また,そのことは大いにやって頂きたいと励まして頂いた。
「思想史」研究の専門家にとって,IT 技術というのは余計な代物であるのではなく,それどころか,既に必要なオルガノンとなっていることを確信させられる出来事であった。
旧ウェブ日記2004年12月11日付