四十九日
叔父の法要だった。長い闘病生活をしていたという。私は一度もお会いしたことはない。ただ間接的に聞くに,知性的であり,お世話になった病院の方々が敬意を抱くような人格者であったらしい。
もしも来世というものがあり,そこが生前の生き方に相応しい酬いを受ける場所であるというのであれば,人の考え得るありったけの恵みが与えられることを祈るばかりである。
碑文
そういえば,今日の法要で父に会ったとき,祖父の手稿が昨晩出てきたということで見せてくれた。高祖父の名須川他山に関する資料であるらしい。
そのうちの一つは,奇しくも今年発表された紀要論文1の中に引用される「名須川他山翁碑」を写したものである。
漢詩
あと一つは,他山の記した漢詩を額に収める際のメモ書きだ。試行錯誤した末に,現在残された形になっているものだということがわかる。HTML文法の限界内で表現すると次の通り。
先憂天下事 後樂古希春 誰謂人生假 閲来皆是眞
旧ウェブ日記2011年10月16日付
注
- 小原茂 「花巻の先人 名須川他山について」,『花巻市博物館研究紀要』, 第7号,17~24頁,平成23年(2011年)3月。