153

SCIENTIA

『ヨハネ福音書』第21章第11節に,復活したイエスがペテロに「船の右側に網を打てば魚がとれる」と言い,その通りにしたところ153匹の魚がとれたことが記されている。

妙に中途半端でありながら詳しく記されたこの「153」という数字に深い意味を見出そうとする人たちは大昔からあった。

「153」というのは,各位の数字「1」,「5」,「3」の各々の立方数「1」,「125」,「27」の総和が元の数「153」になる。 $$\mathrm{1}^{3}+\mathrm{5}^{3}+\mathrm{3}^{3}=153$$

このことはゲマトリアでは有名である。そして,ゲマトリアでは,個々の数そのものに象徴的意味付けをなすと共に,この算出過程そのものにも意味を見出そうとする。

アウグスティヌス

実はアウグスティヌスもこの数字を解釈している。私はそのことをどこかで読んで知っていたのだが,それがアウグスティヌスの何の著作のどこに記されているのか,正確な情報を知らなかった。

こういうことについては,キリスト教徒かオカルト趣味のサイトに誰か掲載していそうなので,早速,検索エンジンで調べてみると,やはり「アウグスティヌスが言っている」という情報はあるものの,その出自が記されていない。「「「どこかで聞いた」という話を聞いた」という人の話」ぐらいのレヴェルの伝聞情報が広まっているんだろう。こういうことに関しての日本のサイトの信用度はこの程度だろう。

それで日本語外まで広げて検索してみると,幾つかのサイトで,アウグスティヌスの『ヨハネ福音書註解』にそれが記されているとあった。それで今度は,この註解書が日本語で読めるかどうか調べてみたところ,何と『アウグスティヌス著作集23~25』が『ヨハネによる福音書講解説教』の翻訳になっていた。

手元に無かったので,早速紀伊國屋 BookWEB で注文したところ,今日届いた。第122説教の8にその解釈が出ている。

簡単に要約すれば,律法の「10」にその完成としての聖霊を象徴する「7」を加えて「17」,「1」から「17」までの総和が「153」である,というわけだ。 $$\sum_{k=1}^{17}k=1+2+…+17=\frac{17\times (17+1)}{2}=153$$

三角数

「17」までは,「そう言われてしまえばそうなのかもしれない」となるかもしれないが,そこから「1~17の総和」と言われてもピンとこないだろう。アウグスティヌスはそういうタームは使用していないものの,これは「17の三角数」である。

ピュタゴラス主義にとって重要であるのは「テトラクチュス」である。信用できる伝承によるならば,ピュタゴラスの「アクスマタ」の一つに「デルポイの信託とは何か。テトラクチュスなり。それはハルモニアなり。このうちにセイレン達は住まう。」とあるらしい 1

これは「4の三角数」の図象化であり,宇宙の完全性を意味する「10」に等しい。$$\sum_{k=1}^{4}k=1+2+3+4=\frac{4\times (4+1)}{2}=10$$

一方,アウグスティヌスはしばしば宇宙創世に費やされた日にちである「6」の完全性を強調するが(数学上,それ自身を除く約数の総和がそれ自身となるとき,その数を「完全数」と称する),これは「3(三位一体を象徴する)の三角数」である。$$\sum_{k=1}^{3}k=1+2+3=\frac{3\times (3+1)}{2}=6$$

キリスト教の数的象徴主義においても,「三角数」は特別な意味をもっていたようである。


旧ウェブ日記2008年5月4日付

  1. 廣川洋一『ソクラテス以前の哲学者』(講談社学術文庫1306,1997年),79頁.
タイトルとURLをコピーしました