午前2時頃に,筑摩書房の方から突然に同報メールが入り,哲学書房の 中野幹隆 氏が一昨日亡くなられた旨が伝えられた。通夜は今日の午後6時から,葬儀は明朝11時からとのことであったが,今の体調では遠出するのは無理だったので,御霊前を現金書留で送ることにした。
そうとはいえ,駅前郵便局から出さなければならなかったから,半分,死ぬような思いで往復した。
こういう突然の訃報というのは,弔意を表するタイミングというのが難しいものだ。葬儀に参加できない場合,後ほど日を改めてしっかりと御参りしたいとも思うが,しかし,遺族にとっては,そのときに慰めを受けたいだろう。やはり,郵送という簡便な形を借りてでも,そのときに弔意を表すべきだろう。
今日の午前に送ったとして,速達でも先方に着くのは明日,そのときは告別式を行っている最中で,受け取るのは明後日ということになる。それでも,初七日が過ぎるまでは「御霊前」であるから(それ以後「御仏前」となるらしい),仮に,略式で告別式と初七日を纏めて行うことになったにせよ,失礼にはあたらないだろう。
私も中野氏には拙書の出版でお世話になったし,実は,昨年8月には,その拙書を数冊送って頂こうとメールで連絡をとったが(いわゆる「著者割引」),そのときに,「腎盂がんで右腎全摘後,リンパ節転移,骨転移と続いて,がんセンターに入退院をくりかえしている」とのお話があった。
私はこのとき,既に中野氏が今回のことを覚悟をしておられるのだと察していた。リンパへの転移ということになると,余程の運がない限り,悪化する以外にはないだろう。これに対して,私は,「ご病気が根治いたしますことをお祈りしています」という以外,書くべき言葉が思い付かなかった。
中野氏は私の体調不良のことも知っておられたが,そのやりとりしたメールの中で,自らの病気以上に,私の健康のことを心配して下さっていた。
哲学書房というのは,ある意味で,採算を度外視して,思想分野に新風を吹き入れてきた珍しい出版社である。今後どうなるのだろうか1。
旧ウェブ日記2007年1月16日付