新歓行事

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新歓行事

通常であれば授業日であるのだが,複数学部学科が新入生歓迎行事を行うために,休講にしておいた。また,フランス文学科の行事に同行することになるはずだったが,長時間のバス乗車は眩暈を悪化させることになりかねないので,休むことにしていた。

それで正解だった。毎年この時期になると必ず一度は寝込むことになるが,今回はせいぜい風邪が悪化するくらいに留まった。熱は出なかったが,一日横になっていて,寝汗で何度も起きる始末だった。

症状

実は,これは数年前に入院した年度の状況と殆ど一緒である。

おそらく愚かな連中というのは,私が前の日の午前中に健康診断を受けていたのを見かけて「あの人は元気でしたよ」と証言することだろう。ところが,その後数時間の条件変化によって,著しく体調が変化するというのが恐ろしいところである。こういうことは馬鹿には決して理解できない。

以前に入院したときには,律儀に全ての会議に出て,学科行事に参加し,月末に開催される戸塚祭の卓球大会に付き合って,その数日後に高熱と悪寒で苦しみ出し,夜間緊急治療をする羽目に陷った。

入院して完治したが結局は原因どころか,病名もわからず,単にそのときに大きく変化の現れた腎臓に対する対症療法を施しただけであった。

それ以来現在に至るまでの数年間の間にさまざまな方法によって明らかにされた事実は,ただ一つに尽き,異常なストレスによる心因性の疾病だということだった。

そしてはっきりしていることは2002年の学科分属以前には決してこのような心因性の目立った疾病が引き起こされたことはないということである。

命の尊厳

付言すべきことがある。2004年に入院した際の状況であるが,「どこどこが悪いということが発見されたから入院する」といったものではなかったということである。一時的に重篤な状態になりかけたからであり,それが再発する可能性があったからである。

それでは病名がわからず原因もわからないのにも拘らず重篤な状態になりかかるというのはどういうことなのか。簡単なことである。敗血症だったのだから。このことは随分と調べて,最近になってからようやく断定できるようになった。

医者が病名と原因がわからなかったのは,この「敗血症」を引き起こす直接の疾患を,その際に見つけ出すことができなかったからである。

ときとして心の問題は肉体に死をもたらす。

私が現在置かれている精神的環境下においては,常に「死」と隣り合わせになっている。それは数時間にして激変するものである。それに対して「神経質」だと指さして笑う人間は,間違っても自分が正常な人間性をもっているなどと思うべきではないだろう。

まあ,そういう輩というのは,普段は「人間の命の大切さ」について臆面もなく口にする偽善者ばかりなのだが。


旧ウェブ日記2008年5月15日付

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